ノスタルジア

さきくさんが亡くなってから5年くらいだろうか。CDを聴きながら改めてさきくさんの事を想い出した。僕は26年前東京で最後の宮仕えをしていた。ライブを聴きに行く時間はほとんどなかったが土曜日だけは無理くり都合つけてライブに足を運んでいた。当時千葉県に住んでいて場所によっては最後までライブを聴くと家に帰れなくなることが有った。よくさきくさんの所に泊めてもらった。さきくさんは料理も上手で日曜の朝は品の良い朝食を食べながらNHK将棋トーナメントを見てから帰路に就くと言う事が多くあった。かなりの頻度になったと思うが僕の居る前では嫌な顔一つせず「またいらっしゃい」と言ってくれた。「さきく」さんは「気さく」なのだ。そこの家にはもう一人髪の長い住人がいた。名前を米木康志という。後姿では区別がつかない。
米木が芸能生活50年弱で初めてのリーダーアルバムを出した。そこにさきくさんの曲が二曲入っている。昨年の6月。大石学と来た時にその二曲を練習していた。「タイトルついていないので思いついたら言って」と言われた。その曲を聴いた時パッとタルコフスキー監督の「ノスタルジア」の映像が思い浮かんだ。その映画はカットが変わるたびにフィルムの色調も変化するのである。固有の色名では呼び難いのであった。「夢色」と言う言葉が下りてきた。
「夢色のノスタルジア、いいね」と言ってくれた
「さきくがさぁ、この映画だいすきでさぁ、よく二人でみていたんだよ」
さきさんがこのタイトルに導いてくれたのだと思っている。
二人で「ノスタルジア」を見る関係は素敵だなぁと思う
付記
個々の曲の解説は控えさせていただくが(こういう時は控えても構わない)ぜひCD聴いていただきたい。多分最後のリーダーアルバムになるはずだ。HPにメールいただければ郵送いたします。(¥2500)

医療崩壊

月一度、母親の付き添いで最新設備を擁する大病院に行っている。カサブランカに集まるアメリカに移住を希望するヨーロッパの難民のように死ぬほど待たされる。だが患者はシスティマックに診察され秩序は保たれている。コロナ患者を受け入れていない病院なのだ。素人考えでこういった病院を有効に使うことはできないのだろうかと思うのである。行政が受け入れ依頼できるのは公的資金が入っている病院だけなのである。私立病院は拒否できる。日本の病床数は全国で約152万9000あるとされている。1000人あたりのベッド数は『13・1』と、(アメリカ:2・8、イギリス:2・6)と比べて、桁違いに多い。だが医療崩壊が起きていると言う。
根本原因はこの一年医療体制の不備を放置してきた行政に責任があるのではないか。飲食は度重なる営業自粛、時短、守らなければ2月からは罰則も付く。医療関係は要請を断っても御咎めなしだ。日本医師会から潤沢な政治資金を貰っているからと勘繰られても仕方がない。昨年4月の緊急事態宣言では感染者数を減らし病床整備をしている間に対策を打つと言う方針であったがいつのまにか病床確保の命題は忘れ去られた感がある。日本医師会の中川会長が医療体制の逼迫を訴えていた。最先端で奮闘されている医療関係の方には申し訳ないが何か逆モーションで牽制球を投げられた気がする。利益確保の点から医師の人員を制限依頼していたはずで
ある。莫大な税金を投入して今の保険点数システムを構築したはずでもある。ここは全国の医療機関に受け入れ病床の協議の提案をして男を上げてはどうか。重篤患者を受け入れると点数的には儲からないシステムになっている。旭川医大の学長更迭問題の火種もここにあったはずだ。今こそ医師の倫理観を問いたい。
そして政府の無策にもっと怒ってもいいのではないか。
中国の政治体制に与しないがひと月で病院ごと建設し病床を確保した政策は手本になるのではないか。アベノマスクでコロナ対応病院何棟建設できるか。
日本がコロナ対策に使った税金は米国に次ぎ世界2位である。いったい何に使った?検査抑制、保健所パンク、看護師不足、入院不能、補償は不公平、ワクチン未だ届かず…
今回の緊急事態宣言でも、時間稼ぎをしても感染者を減らす以外に病床確保のための具体策が示されていない。

鬼滅の刃

菅総理は受けを狙ってこのアニメのセリフを引用して記者会見の答弁を行った。映画の興行収入も歴代一位になった。昨年の出版業界販売部数ベスト20はすべて鬼滅の刃1巻から20巻で占められる。出版業界の明暗を浮き彫りにする現象となった。コロナ禍をものともせず収益を上げる。まさしく自助の鏡である。
ここに官房機密費なる仕分けで現金が86億ある。支出に領収書はいらない。何をやっても良い会員制SMクラブのような存在である。只原資は税金である。この資金が先の総裁選の時期2週間で4800万減少している資料が国会で提示された。小池委員は「選挙に使ったのではないか」と切り込む。菅総理はいつものお題目を唱える。「お答えは差し控える」であった。
小池委員は「自助自助といいながら税金を使った公助ではないか」と詰め寄る。
考えてみると菅官房長官時代からマスコミのツッコミもより甘くなっていった。望月東京新聞記者も機密費の一部がマスコミにも配られているのでと論評している。
出川哲朗が出てきた。
「やばいよ、やばいよ」
「機密はやばいよ」

五輪神道

東京五輪が宗教行事化していると言う視点は卓見である。諸外国が「オリンピックの火」と呼ぶ大会演出の小道具でしかない火を「聖火」と呼んで有難がる。まさに神事である。菅首相は「コロナに打ち勝った証としての五輪」と言う詔を下知して庶民の安寧を願うふりをしている。それは中世に疫病、飢饉、災害が起きた時の為政者の神頼みⅡⅤフレーズである。勝利条件が全く提示されない。東京五輪中止と言う合理的判断が「コロナに負けた証」と言う間違ったメッセージになってしまう。精神論ではコロナにも鬼畜米英にも勝てない。
東京五輪の国内スポンサー全68社がコロナ禍の中で契約延長に基本合意したという。日本の大企業はそれだけ政府に依存している。金融緩和による高株価や企業優遇税制に支えられているのだ。逆らえるわけがない。
森喜朗委員長もバッハ会長もオリンピッククラスのイベントを開催したときの感染リスクには一言も触れたことがない。
五輪はもはや純粋なアスリートたちの祭典ではない。濡れ手に粟の人間が必ずいる。
企業栄えて国滅ぶ。
「怒り心頭」

参考文献 オリンピックの事を考えるために
「二つのオリンピック」ロバート・ホワイティング著
「黒い輪」ヴィヴ・シムソン著
「北緯43度の雪」河野啓
札幌オリンピックに参加した南国スキーヤーの感動秘話。札幌在住の方には親近感を持って読めます。

ローバータ・フラッグ

炉端焼きの店で火力が強くて大漁旗が焦げている店があるよね。これが日の丸だと罰せられるかもしれないのだって・・・・・
こんばんは、はらいちでーす
「火事場泥棒」 どさくさ紛れはいかんね
「送り狼」安心させといてパクッと言うやつね
「当て逃げ」バレなきゃ御の字というやつね
「やり逃げ」いるいる。酔わせておいてご馳走様と観音様に手を合わせるやつね。
「デレイドスチール」だいぶ離れてきたけど、タイミングをずらして次の塁を盗むやつ。
「パッシングデミニッシュ」もうわからなくなってきたけど、大事なコードに行く前の経過音に和音付けするやつね。注意してないと判らないよね
この猫の手だけではなく、ムカデの足も借りたいほど忙しいときに「日の丸の国旗を壊したり汚したりした者に罰則を課す刑法改正」に時間とエネルギーを注ぐ勢力がある。下村博文、高市早苗らの日本会議系国会議員たちである。馬鹿も休み休みにして欲しい。全力を尽くして医療機関への支援策を議論すべきと思う。
この連中が語る「国を守る」の「国」は国民でなく国家の権威だとよくわかる。
1989年の米最高裁の判例がある。その中でブレナン判事は良いことを言っている。「国旗はこれを侮蔑する者さえも保護するのだ。国旗を燃やす自由でさえ認められるときにその国旗の理想は実現されている」というとても凄まじい自由主義を高らかに宣言している。この点ではまだまだアメリカには敵わない。
村上春樹の短編小説に「蛍」と言うのがある。正体不明の財団が運営している寮で生活している主人公の物語である。その寮は君が代と共に国旗掲揚をする儀式で一日が始まる。村上春樹の言葉を無断借用する。
『どうして夜の間に国旗が仕舞い込まれてしまうのか僕には良く分からなかった。夜なかにだって国家はちゃんと存在しているし多くの人々は働いている。そのような人々が国旗の庇護を受ける事ができないのはどうしても不公平であるような気がした。でもそれは別に大したことではないのかもしれない・・・・・以下略』
村上春樹はさらっと国旗に象徴される国家の共同幻想の事を述べている。
この小説を読んだときある事件を思い出した。高校一年の事である。宿泊研修と言う名目で大雪青年の家に連れて行かれた。そこの一日も君が代と国旗掲揚で始まった。翌日全生徒の非常招集が掛かった。国旗を隠した輩がいると言う事であった。今返却すれば不問に付すと言う条件が出たが名乗り出たものはいなかったはずである。
翌朝何事もなかったように国旗が掲揚された。
ギターリストは替えの弦を持ち歩ているし青年の家は替えの国旗は用意していると言う事である。

1月29日

1968年1月29日東大医学部自治会が医療法改定に異議を唱え無期限のストに突入した。学園紛争の口火が切られその運動は全国の大学、高校に伝播していった。発端となる事件の事は覚えていないが一年後の安田講堂陥落の映像ははっきりと覚えている。その後学生運動は収束し一部の極左勢力の内ゲバ闘争に変遷していった。そしてその間に起きた事件に関わった人間と微妙に繋がっていることが後でわかる事となった。
最近映画にもなったが三島由紀夫と東大全共闘との討論の一部を聞いた。「君たちが天皇陛下の事に触れてくれたのなら私は君たちと共闘したであろう」と言う言葉に考えさせられた。同じ時期学生との大衆団交に臨み要求をことごとく撥ねつけ一週間ほど軟禁された骨のある教官がいたと言う事実は何となく知っている。去年「保守と大東亜戦争」という昭和の思想史の本を読んでいたら上記の教官の名前が出ていた。林健太郎氏である。あれ、どこかで聞いた名前であると思った。盟友米木の奥さん「さきく」さんのご尊父ではなかったかと思ったのだ。米木に問い合わせた。「そちらは、叔父」との答えであった。林健太郎氏はその後東大総長になった。「そちら」が有れば「こちら」もある。こちらのご尊父は慶大教授で退官後新設大学の学長になられた。そのご尊父から「米木君、校歌を作ってくれないか」と言われたそうである。「いや、俺そういうタイプでないからさ・・・アキコに頼んだよ」
僕は小山明子しか思い浮かばない。アキコと言うのは矢野顕子の事である。
学生運動の火は全国に広がり北大にも喧騒とした雰囲気が充満していた。図書館が学生に占拠されたと報道があった。支援しに行こうと思い立った高校生の僕は北大正門前で身動きが取れなくなった。信号機は金網で防御され機動隊の装甲車と隊員で学内には一歩も立ち入れない状態であった。その図書館の中に僕が引き継ぐこととなったgroovyのマスター、野川さんがいたと聞いたのもそれから20年くらいたってからである。聞いたのは本人からではないそういう事は喋らないというのがその業界の不文律になっている。
唐牛健太郎というカリスマ運動家がいたことを佐野眞一の「唐牛伝」で知った。唐牛は全学連の委員長になった人間である。そして唐牛は野川さんと同じ時期北大に在学していた。あの図書館の中で二人は希望と蹉跌の入り混じった空気を吸っていたのではと思うと胸が痛い。
二人とも故人になっている。聞く術はない

空耳アワー

国会中継を聴いていて耳を疑った。菅総理の答弁である。
「最後には生活保護がある」
おいちゃん、それを言っちゃお終いよ・・・。自助、自助、自助、自助、自助、自助。自助を二乗しても「至上の愛」には程遠い。ア!殺生(アセンション)と言うものだ。
乗っていた飛行機が太平洋の真ん中でエンジントラブルに見舞われた。機長の機内放送がある。「当機はハワイ沖200キロの海面に不時着いたします。当地の気温は28度、天候は晴れ。ご安心ください、最後には救命胴衣があります」
「救命胴衣があるなら安心だ。それまで、ジェットストリームを聴きながら一寝入りしよう」てなことになる・・・・・わけないやろ!!!!
機長の使命は乗客を安全に目的地に届けることのはずだ。
「政府を頼ってください」と国民に呼びかけるメルケル首相。一律10万円を渋り「後世への借金を増やすのか」と国民を恫喝する麻生財務相。菅総理、麻生財務相には疲弊する国民を勇気づけるメッセージがまるでない。GoTeGoTeの無策。無策は木を切る♪・・ヘイヘイホー。無策は人を斬る♪・・・ヘイヘイホー。
毎回の事であるが官僚の書いた答弁書を読み上げるのは止めてもらいたい。心に全く届かない。こういうのを台本営発表と言う。
Cjam bluesを譜面見ながら弾くプロがいたとしたらあなたはその人を信用するであろうか

日本映画探訪記vol13 修羅雪姫 怨み恋歌

5Gの時代になんとも昭和の裏街道を思わせるタイトルの映画である。梶芽衣子が匕首一振りで女ゴルゴ13を演じている。藤純子が演じる任侠物とも違う。原作はアニメで小池一夫が作者である。時代設定は明治時代である。時代変革を願う若者と女殺し屋が官憲に歯向かう同じ勢力として描かれている。この構図は60,70年代、学生運動が華やかし頃、高倉健主演の任侠映画をヘルメット片手に見に行く運動家たちのスタンスと同じである。鞘を捨て相手方の組に乗り込む健さんとゲバ棒抱えて機動隊に対峙する自分を同一視していた。そこに思想的な右も左もない。主演の梶芽衣子は殆ど喋らない。ポール・ブレイのソロアルバム「open to love」の音数よりも少ない。女囚サソリもののデビュー以来口数の少ない堪える女で人気を獲得してきた。口数の少ない女の良いところはミステリアスに見えることと下手な演技がバレにくい所にある。梶芽衣子が修羅場に赴くロングショットがある。縦じまの和服の裾が風でちょっと乱れる。肌の白さにドキッとするのである。監督は藤田敏八である。秋吉敏子を起用して「妹」などの昭和を代表する青春映画を撮った監督である。あれ・・変換ミスである。秋吉久美子の間違いである。秋吉敏子が妹だったらホラー映画になってしまう。
いたるところに黒澤明への敬愛の念がにじみ出ている。血が壊れた消火栓のように吹きだしてくる場面、手が藁人形の試し切りのようにスパッと切り落とされる場面は「用心棒」そのままである。タランティーノ監督がこの映画が好きだと聞いた。正直どこにインスパイアされたのかは僕のレベルでは分からない。マイルスがアーマッド・ジャマルにインスパイァされることもあるのだから、世の中分からない。
ぼくも007に刺激を受けている「いいスパイや」

ライブ持続化CD発売御礼

鈴木央紹、三嶋大輝を迎えての怒涛の6daysが終わった。お客さんが来なければ自分の首を絞めるし、満席になれば感染拡大の心配をしなければならない。前門の虎、後門の狼状態である。それがライブCDを買っていただくことで寂しくない客数でクオリティの高いライブを主催出来た。来ていただいたお客さん、CDを買っていただいたお客さん、商売道具である音源を販売することを許可してくれたミュージシャンにお礼を申し上げたい。ありがとうございました。月一度は頑張って東京のミュージシャンと札幌のミュージシャン、社会人、学生、そしてリスナーの皆さんとの交流ができる企画を継続的に主催したいと思う。何人かのお客さんからはモヤモヤした閉塞感が吹き飛ぶようなライブでしたとお褒めの言葉を頂いた。意味のある感染対策は全部してお待ちしている。

2021.1.22-23 鈴木央紹4 ハッとしてGOOD

鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds) 
毎年、素晴らしい管奏者が来演する。彼らはいつも絶頂期と思わせる演奏を提供してくれる。メシ代を削ってでもその場に居合わせるのが、人生の正しい選択だ。
鈴木には王道を行く演奏家に欠かせない太い芯の通ったノリと、マジックと言われている曲への思いが咄嗟に音変換していくスリルがある。そうしたハッとする瞬間がGoodタイミングで繰り出される。我々に鈴木ジャズの真髄を感じさせてくれる秘密がその辺りに隠されているのかも知れない。鈴木の演奏を聴いたことの無い人に彼をどう伝えればよいかは難しい。閃きのゲッツ、豪快なブレッカー、柔らかいC・ロイドを混ぜ合わせて更に・・・、と言ってみても用をなさない。それは鈴木が歴史上のテナー・ジャイアントに比肩するレベルで演奏するONE&Onlyのプレイヤーだから止むを得ないのだ。すると鈴木評は弓折れ矢尽きてしまい、結局、生で聴いて見てくださいということに着地する。この醍醐味を一人でも多くの人と共有したいと思うのである。
さて、本レポートは鈴木5DAYSのうちの2夜分であるが、今回は5日間、1曲も被っていないそうだ。演奏曲は「ウイッチ・クラフト」、「ルルズ・バック・イン・タウン」、「フォー・ヘヴンズ・セイク」、「クレイジオロジー」、「マイルス・アヘッド」、「ハルシネーション」、「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」、「バット・ビューティフル」、「ブルー・ローズ」、「セレニティー」、「マイ・シップ」、「エアジン」、「ヴェリー・アーリー」、「ニュー・ブルース(Knew Blues)」、「イマジネーション」、「飾りのついた四輪馬車」、「コートにすみれを」。
後ろのメンバーについて一言。三嶋は今回が鈴木と初共演、それが暗中模索、局面打開の格闘劇であったとしても、何かをモノにしたに違いなく、更に大きく輝くことを期待する。本山はここ5、6年の間に向き合った真剣勝負の成果を完全消化していて、安定感と主張が融和しているのが頼もしい。さらに風格さえ、と言えば褒め過ぎか。伊藤は大人である。妙な言い方をして申し訳ないが、最近の伊藤には大人が大人の演奏をしているという嬉しい等式のようなものを感じている。
多言は無用でエンディング。比較的ハコの大きい東京都内のライヴハウスは、ミュージシャンにPCR検査を求めるらしい。鈴木は既に数度受けていて、勿論、いずれもネガティヴだ。結果待ちにソワソワすることも無いという。テナーのリーディング・ランナーは演奏以外でも揺ぎ無しだ。なお、現下の情勢から聴きに来られなかった人のために2日分コンプリートでCDR提供される。これは、LBのポジティブ・キャンペーンに相当する。標題はミーハーながら、今やアイドルの片鱗もないT・俊彦氏のヒット曲から拝借、フゥー。
(M・Flanagan)