時評

時評
熊本地震から二十日ほどたった。今も大きな余震が続く中被災された方には心よりお悔やみを言いたいと思う。ただ地震一色の報道がなされる中、国の命運を決めるような事がどんどん既成事実として作られていく。オスプレイを使った輸送活動など完全に政治ショーに利用されている。激甚災害に指定されたタイミングも北海道5区の衆議院補欠選挙の前日で遅きに失しているにもかかわらず災害対策を遂行する与党は批判しづらい。結果も与党が辛くも逃げ切った。次回の国政選挙に課題を残した。アメリカに自国民の幸せまで差し出して自分の歴史認識やら存在感を主張するお坊ちゃま総理には絶対やめてもらわないといけない。僕は自民党を支持したことはないがそれでも昔は骨のある政治家がいてだめなものはだめと言う風土は残っていたと思う。TPPなど市場拡大と効率化をうたう政策は要はあなたもこちら側に来れば金持ちになれる可能性はありますよと恫喝しているようなものだ。国は断じて株式会社になってはいけない。潰れてはいけないのだ。ケイマン諸島や、バージン諸島に会社を移して国民から絞り上げたものを自分たちのために使うことは阻止しなくてはいけない。
音楽とて無関係ではない。何時の間にか著作権が延長され、在庫を抱えるCDショップは大手と言えども縮小の一途だ。札幌をjazzの町にすると言ってはじまったcity jazzも演奏者の低年齢化と経済効果だけが取りざたされるイベントになってしまった。音楽の質が問われる構造にはなっていないと思う。
呑み屋で政治と宗教の話はご法度だと言われるが呑み屋の親父も言いたいことはあるので真面目に書いてみました。明日からは面白い事書きます。

鮭の遡上

週中のライブのない小雨模様の木曜日、巨人の優勝が決まった後の中日とヤクルトの消化試合のように盛り上がらない。・・・・・・と覚悟していた。見知らぬ会社員がドアを開けた。(目は悪いし、逆光だと本当にを分からない)リクルートスーツに身を包んだバイトのF本だった。あまりに早い季節の遡上で一瞬ぴんと来なかったし、思わず笑ってしまった。何日かこっちにいるんだ。会社の歓迎会のあと関東圏に行く前に立ち寄ってくれた。国家元首をもてなすのと同様に接客をさせていただいた。何せお客様だ。お通しと未使用の割り箸とちゃんと冷えたビールをだした。まだ最後に会ってから2週間ぐらいしか経っていないのにカウンター越しに見るとずいぶん違った印象を受ける。明日早起きしなければならないといって10時過ぎには帰っていった。勿論引き止めたりはしない。さりげなく給料日を聞いた。一流社会人であれば聞いた意味は分かるはずだ。今度来れるのはゴールデンウィークということだ。シングルモルトの21年物を仕入れて待っていようと思う。
金1600円確かにいただいた。嬉しい1600円であった。
領収書は・・・・・と聞いた。「おこられます」と言った。
そういう時は「日付、金額なしで2枚下さい」と言った方が面白い。
F本まだまだ。

縦割り行政

店を閉めて帰る午前一時頃、石狩街道をバリバリ、バリバリと世の中で一二を争う醜悪な音を響かせて数台のバイクが北上してくる。今年はじめてみる暴走族だ。パトカーもサイレン鳴らして追尾してくる。もう少しで北24条通りにさしかかる。僕の目の前には組み抗争を警戒する覆面パトーカーが24時間待機している。サイレン鳴らして車を一寸だけ動かせば簡単に逮捕できるのに微動だにしない。
「あなたたちは交通課でしょう。うちらは丸暴だから課が違うのね。だいたい鰯の稚魚みたいなチンピラ捕まえたってポイント低いでしょう。うちらは300キロの黒マグロを狙っているからそちらはそちらで・・・・・どうしてもというならうちの課長に話しとおしてね。あらあ・・・逃げられちゃった」と言うことだと思う。会社員だった頃を思い出す。
上司によく言われた。僕は経理課であったが「人事課に借りを作るなよ」大体同じ事だと思う。
その日はdsとbのduo、なおかつ半分はインプロ。普通のリスナーには厳しい条件かもしれない。何時もいらっしゃる常連の方も病欠でライブが始まった時はお客さんはいなかった。途中から外国の方が来た。ライブであること、料金の事を説明すると、ネットで調べて聴きにきたという。熱心に聴いてくれた。S太さんのドラムを聴いたことがないタイプだと面白がってくれた。もともとロシア生まれで留学でイギリスに行き今はロンドン近郊のバーミンガムに住んでいるということだった。僕はS太さんが入っている山下洋輔Gのヨーロッパライブのレコードを出してS太さんの経歴を説明した。当時洋輔さんがヨーロッパのお客さんの印象を言っていた。「ジャンルの壁を取り払って楽しんでくれる」と。
きてくれたピョートルさんもそういう人なのかも知れない。「今日が最後ではないよ・・・・・まだ来るよ」といってくれた。
感性の縦割り行政はない方が色々楽しめる。

通勤途中に見える風景

通勤途中に見える風景
自宅から店まで高々15分ぐらいだが毎日通ると色々な事に気づく。
①近所にアスレチッククラブがあって二階がトレーニング室になっている。夕方ごろには電気が煌々とついており窓越しにルームランナーで走っている人が見える。僕には鶏舎のブロイラーに見えてしまう。駐車場はいつも満車で車で来てルームランナーで走って車で帰るのって何か変。
②途中にもう1軒アスレチッククラブがある。大体2軒あるのがおかしい。こちらは24時間営業で僕が帰る朝3時、4時に走っている人が見えた。最近は窓にはシートが張られて中は直接は見えないがその時間は飲むか寝るかの方が健康にいいと思うがどうでしょうか。会員の人に聞いたのだがシャーワールームには防犯ベルが有って10時以降は必ず身につけてくださいとのことでした。何か変
③暴力団組事務所もある。例の抗争事件の煽りで2週間ほど前から覆面パトカーが24時間張り付いている。パトカーが一車線占拠しているのでいつも渋滞している。玄関前にはナンバープレートのない車が1台停まっていて
この車を動かそうものなら道交法違反でしょっぴくつもりだなと考えていた。ある人に聞いたのだがあれは警察が対立する組織がダンプで突入するのを防ぐためにおいたものだ。それを聞いてから前を通るのはやめている。そういえば若い衆が外でタバコを吸っているのを最近見かけない。組事務所が禁煙と言うのもご時勢なのかもしれないが何か変。

三月の思い出

I remember aprilやApril in parisなど4月の曲は多いが三月の曲はあまり無い。「サンタがMarchにやってきた」くらいだ。三月は日陰者だ。店の周年記念が三月なので年度変わりが3月と言う感覚になってしまう。会社員だったときも2月決算、3月から新年度だった。ついでに僕も三月生まれなので「ようし・・・。今年も生き延びてやる」と気持ちを新たにする。周年記念ライブや学生の卒業ライブが続くので三月はあっという間に終わる。月
の半分はゴミステーショのカラスを蹴散らして帰る時間になった。今年の目玉企画は大石学trioに鈴木央紹のtsをのせることであった。こういう企画がひらめいてしまうともう我慢ができなくなる。去年の6月から根回しをはじめやっと実現した。サウンドは僕が想像していた方向性であったが質の高さが素人の期待をはるかに超えるものであった。この詳しいライブレポートは牛さんの文章を読んでいただくとして、僕が嬉しかったのは演奏者からも楽しいセッションだったといわれた事であった。学生の卒業ライブの方は人数も多いし親しい学生も多かったので徹底的に付き合うつもりで臨んだ。最後のFちゃんの家飲みにも参戦し一人、二人と落ちていく中で最後の三人まで残り入賞を果たした。その学生たちももう4月からは働いているのだ。今度会うときは立派な社会人だ。たっぷりふんだくってやるから覚悟して来い!特にF本、いも美にも原価があることを実感したか

エイプリルフールの特ダネ

エイプリルフールの特ダネ
山田丈造東京進出という4月1日道新の夕刊の記事をご覧なった方も多いと思う。勿論嘘ではない。前日丈造から記者さんから連絡が行くので適切なコメントをしてほしいとの依頼があった。「初めてた会った時は見るからにチャライ印象でした」とは言わなかった。誕生祝やら、お土産やらもらっているのでその分はちゃんと褒めておいた。取材時間は15分くらいであったと思うが、記事になったのは「寂しくなるが大きな舞台で頑張ったほしい」の一行であった。そういうことも言ったがある部分が削除されると「街頭の声」と一緒で通りいっぺんに成ってしまう。
こちらの方が嘘に近い。
三月初旬山田丈造壮行ライブをやった。その時丈造は「僕は東京に行きますが、lazyと吉田直をよろしくお願いします」と言ってくれた。僕は選挙に出る新人候補のようにお客さんに深々と頭をたれた。いつからそんな立派なセリフが言えるようになったんだ。この野郎と内心おもいながら・・・・・・。
丈造がプロになる決心をしたのはlazyでのあるライブであったと聞いた。そういう場を提供できた事が嬉しかった。

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
 今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
 ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
 今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
 先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)

メビウスの鳥

2月2日蜂谷真紀(voice,p)ユーグ・バンサン(cello)小山彰太(ds)
完全インプロの2ステージと言うとしり込みする人が多いかもしれない。だがそのプリミティブなサウンドは音楽がまだ形式を獲得する前の祝祭的な喜びに満ち溢れている。蜂谷のvoiceは世界をそしてあらゆる時代を自由に駆け巡る。その言葉は聴いたことのないどこかの言語に聞こえる。小山も言っていたが山下洋輔trio時代の坂田明が開発したハナモゲラ語とも違う。メロディーに合った音韻が瞬間的に選ばれている。まだ言語が生まれる前の音が意味を持つ瞬間を再現しているのかもしれない。ユーグのエレクトリックチェロはクラシック、ロック、民族音楽のあらゆる要素をもって蜂谷のvoiceを捕まえようとする。その捕り物を小山のドラムが祝福する。
お客さんは少なかったが僕が心づくしの事をすると打ち上げで蜂谷がお返しをしたいということで弾き語りでI’ll
Be seeing youを歌っくれた。お洒落な店で歌姫的なことは全く経験がないということであったが凡百な歌い手が足元にも及ばない歌唱力であった。ユーグもユーモアセンスのあるフランス人でトム・コーラを聴いてから音楽観が変わったと言う。ジミ・ヘンみたいな瞬間があったというと喜んでいた。東京での蜂谷のレギュラーグループは松島、類家の2tp,珠也のドラム、ベースは失念したが面白そうな組み合わせだ。だが呼ぶまでは僕も根性はない。東京まで聴きに言った方が安上がりだ。今回のライブで2回日になるが小山から蜂谷を紹介されたときどういう人と聞いた。
「明るい,気違いかな」が答えで、実際その通りであった。ユーグにはお前の発音はなかなかいいとポメラニアン。
「また会おう」と約束をした。それまでにはジャン・ギャバンの物まねをできるようにするぞ!

ライブ短評

1月20日、21日松島啓之quartet
松島啓之(tp)南山雅樹(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
松島は伝統に根ざした一流のインプロバィザーであることには間違いない。米木と珠也をバックにどこまで違う領域まで行ってくれるかが聴き所だ。松島のプレイは何時にもましてキレがあってスピード感がある。そういう気持ちにさせる米木と珠也はほんとうにすごい。世界有数のリズムセクションだと思っている。はっきりいって曲はもう関係ないので省略。当日隣の席に小山彰太さんがいて珠也の凄さを生で解説してくれる。「珠也のレガートはスティクとシンバルが同時になっている。すごいな」禅問答に近いが解かる人には解かるのであろうな・・・・・。拍手したときに右手が鳴っているか左手が鳴っているかは僕にはわからない。

1月26日室内梨央g
梨央は社会人のボーカルだが音程もよくないしリズムもよくない。声量もない。ボーカルにとってヘレン・ケラーのような三重苦を背負っているが妙に印象に残る。祇園精舎の鐘の声ではないが何か儚いのだ。秋の終わりに一鳴して一生を終えるマツムシのようだ。どうか進化などしないでそのまま歌ってください。お客さんで「もっとアクションをつけて体で表現して・・・」みたいなことをおっしゃっている人もいたが辞めた方がいい。ブスの厚化粧になる。

1月27日奥野義典quartet
奥野義典(as)板谷大(p)柳昌也(b)舘山健二(ds)
前回同様全曲ミンガスの曲になった。もう、カルビいりませんと言う位油っこい選曲。4人とも札幌の名だたる職業音楽家、水も漏らさぬ演奏だった。だがふとミンガスの曲をミンガスサウンドでないもので聴きたいと思わせる何かがあった。

1月30日
中島弘恵(p)大久保太郎(b)
この日の選曲はタンゴとjazzが半々くらいだった。弘恵のピアノは切れがいいのでタンゴに向いているとは前から思っていた。タンゴのを表現するのにも色々な手法があるのであろうが、僕はピアソラの様にjazz的は手法があるものにより惹かれるので曲の再現だけで終わられるとちょっと拍子抜けになるときがある。