武漢の風景

10月初頭の武漢の映像を見た。新華社通信のものではなく個人の撮ったものだ。プロパガンダの映像ではない。五月以降新規感染もなくマスクなしで国慶節を祝う大勢の人々がいる。三月、感染者を隔離する施設は逼迫していた。体育館に収容する映像や突貫工事で病院を建設しロックダウンする映像を見ていた頃は正直武漢は見捨てられたと思っていた。ところがどうだ。普通の生活を取り戻しているではないか。特効薬はない。大規模PCR検査とソーシャルデイスタンスの確保だけなのだ。中国は一日2000件PCR検査ができるバス型の移動実験室を次々現場に投入している。それだけではなく10検体同時検査の技術も確立しているから珠海市のPCR基地では一日最大390,000件の検査が可能になっている。中国の政治体制には与しないがなぜ日本ではできないのだ。マスクを配ったりGO TOキャンペーンに投入した税金をそのために使っておけばとつくづく思うのである。
コロナ対策の諮問機関の代表尾身委員のコロナ禍における食事の食べ方なる映像が流れていた。
右手で箸を持ち、左手でマスクの左側を外す。右手で素早く秋刀魚の切り身を口に運ぶ。口の入れたら素早く左手でマスクをかけ咀嚼する。
真面目に解説しているのである。こんなことがコロナ対策か。
馬鹿じゃないの!!!!!!

外出自粛要請

11月17日札幌市の外出自粛要請が出た。これが出ると客足はパタッと止まる。ダチョウ倶楽部のギャグではないので「出るなよ。出るなよ」と言われて出てくる人間はあまりいない。今店にいるが外に人の気配が全くない。隣の鉄板焼き屋は数日営業していない。二軒隣の居酒屋のソーラン節のエンドレステープが虚しく流れている。客待ちのタクシーも効率の良いところに移動したようで一台もいない。勿論お客さんは一人も来ない。消化試合様に借りてきた。DVDも見てしまった。ルナから連絡があった。12月のライブは札幌の状況をギリギリまで待って来札するかどうか判断したいと言う。ミュージシャンの考えは尊重したいと思っている。最後の給付金がいつ降りるかが生命線になっている。会社員の時も400億の負債が有る組織の資金調達をやっていたので貧乏は慣れている。焦りはしないが困ってはいる。ここ2週間、不思議なほど珍しい人が訪ねて来てくれる。臨終が近くなると先生が「近しい人を呼んでください」と言うあれである。僕自身は至って元気なので店が危ないと察知してくれたのかもしれない。

独立行政法人の行末

北大の広告が新聞に載っているのを見ると今でも違和感がある。2003年に国立大学が国立大学法人になったことを改めて思い出す。週一度は北大構内を自転車で通るが民間の商業施設が増えている。産業界との共同プロジェクトがいくつか新聞の紙面をにぎわせていた。日本ハムの球場を構内に作る話まで一時期浮上していた。大学は事務方は文科省が担い教学部分は学部教授会の自治が建前であった。だがこれが2003年の国立大学法人法によって骨抜きにされつつある。北大の場合名和学長がパワハラが原因で解任され宝金新学長が選ばれた。大学サイドからは説明はない。学者サイドのこの弱腰が今の学術会議の任命問題の伏線になっていると思うのである。だが今回は学者側の徹底抗戦に会っている。政府は学術会議に産業界の人間も入れたがっている。公務員の任命権を盾に取り人事権を掌握しようとしている。公務員も奉仕先は政府ではなく国民であることをまず確認しておきたい。株式会社化してはならない分野がいくつかある。医療、教育、水道などのインフラ部分である。「一週間で覚えられる受験英単語」の類の本が有る。ところが「三日で覚えられる受験英単語」と言う本が出るとそちらの方が効率的と主流になり結果として必ず学力は落ちる。学術論文の提出数は毎年減っている。運営交付金などの獲得手続きなどの雑務が多すぎで研究に時間を割けないからだ。学生と時々話す機会がある。それぞれはみな賢く良い青年である。一流会社に就職を決めていく。だが学生時代から「長いものには巻かれろ」みたいなケースをずっと見続けていると分断する側に回るのではないかと密かに危惧するのである。

自助の事情

母親はパーキンソン病で要介護認定も受けている。それとは別に本来の老化現象でも足腰が弱ってきている。理学療法の施術と痛み止めの注射を打ちに行っていた整形外科が閉院してしまった。そこは診療点数稼ぎが露骨な病院で評判は良くなかった。そこから紹介状を貰って他の病院に行ったらしい。その数日後実家に寄ってみるといつになく機嫌が悪い。初めて行った病院でそんなに歩くのが不自由だったらすぐ施設に入ったほうが良いと言われたと言う事だ。「本当に失礼だ」と震える口で怒るのである。全くその通りである。年寄りには年寄りなりのプライドが有るのである。5,6年前になるであろうかパーキンソン病と診断されたとき「いずれ施設に入れるつもりかい」と聞かれた。僕は逆にどうしたいか聞いた。頑張れるところまで家で生活したいと言う。僕も比較的近所にいるし週2回くらいは様子を見に来れる。「じゃ、そうしよう」と別に暗くなることもなく方針が決まった。健常者なら10分で済む買い物も一時間ほどかかるが自分でこなしている。家の中をゆっくり歩いている姿を見ると腰の曲がった魔法使いのようでもありオラウータンのようにも見える。政府の方針に従って自助で頑張っているのである。
何処かに三船敏郎のような「赤ひげ先生」はいませんか

新聞の読み方

新聞が塵紙交換のトレード要因になっている時期があった。朝起きたらパラパラと紙面をめくり気になるところだけ拾い読みして回収袋に放り込む。もったいないので辞めようとも思ったがネットのニュースでは総合的、俯瞰的に世相が判断できない。心機一転して全部読むまでは決して回収袋には要れないと紙(神)に誓って早二年、一周遅れのトラックランナーの気分で10月1日の新聞を舐めるように読んでいる。一か月前の話題である。ところがこれが思わぬ発見がある。菅総理が臨時国会を召集しないので叩かれている。所信表明をする前に外遊をする予定とある。訪問先はベトナムとインドネシア。はっきり言って今行く必然性が有るのではない。外交の仮免検定といった所だ。今の予算委員会の答弁を見ていたら仮免で路上運転も必要なだなあとつくづく思うのである。
月刊HANADAの広告があった。総力取材「安倍総理ありがとう特集」とある。櫻井よしこ、高須クリニック医院長、小沢榮太郎など安倍総理のお友達が賞賛の記事を書いている。安倍元総理と菅総理は仲がいいわけではない。今後のこの雑誌の取材方針が楽しみだ。絶対に買わないけど・・・・。
Go Toキャンペーンが始まるとあるが所謂両論併記で論陣を張っている感は全くない。勿論今の北海道、札幌の現状を予期する文言は全くない。そういう事実を落ち着いて確認できる。
後一周遅れであっても時系列で読まねばならぬ理由がある。連載小説の「パンとサーカス」島田雅彦著が面白いのである。二日酔いで活字なんて見たくないと思ってもそこまでは頑張って読んでいる。もう一つの理由は将棋の棋譜だ。道新は王位戦の主催社なので今だと藤井聡太7段と木村一基王位の棋譜が連載されている。知りたくもないが藤井聡太が昼に何を食べたかも書かれている。札幌で対局したときはステーキ定食。結構いいお値段だ。棋士の対局日の食事話で有名なものがある。ヒフミンこと加藤一二三九段は何十年も対局日は昼も夜も「うな重」を食べる。それをも見た対局者はその気迫に将棋の前に負かされそうになるらしい。
と言う事で
7六歩、25トニック

滋賀県と北海道

あるものを並列して論ずるとその特徴が見えてくる。・・・・こともある。ラジオから滋賀県のお国自慢を紹介する番組が流れてきた。滋賀県の事は少しだけ詳しくなってきている。現在進行形なのは信頼できるピアニスト本山禎朗の出身県だからである。時々ご当地名産品を貰うことが有る。「白魚のワサビ漬け」は絶品だ。ご飯のお供に良し、酒のおつまみに良し、お客に転売して私財を肥やすのも良し、三拍子そろったお土産界のイチローだ。ここで疑問が湧いてくる。白魚が琵琶湖でとれるのか・・と言う事である。ここからが北海道人の「浅はかの夜は更け行く~♫」になるのであるがこの日本一大きい湖は北海道の湖に比べて汚染度が高い印象があるし摩周湖に比べては神秘度も低い。大体琵琶湖には自然を育む力があるのであろうか。胡瓜でも西瓜でもキャベツでも女性でも大きなものは大味なのである。失礼、女性の例は削除訂正しお詫びいたします。琵琶湖は広さ日本一を鼻にかけているのではないか。
「そうそう、私もそう思っていたの,何か独活の大木の湖版みたい」
「そうだべ、支笏湖のチップに比べたら、『琵琶湖の白魚』なんか幕下付け出しだべや」
「そうそう、此処だけの話だけれど滋賀県なんか琵琶湖がなかったら思い出してもらえない県ベスト3じゃないかしら」
「そうだべ、『志がない県』てか・・・今日はしばれるな・・マリモ、お銚子もう一本」
「あいよ、このお通しどう?」
「バカ旨、どこで作ってるんだ」
マリモがラベルを見ると・・・・・・・
酔った二人が勝手にしゃべってしまって滋賀に縁のある方には不快な思いをさせたことを謹んでお詫びいたします。菅総理謝罪と言うのは迅速にこうするものです。
ラジオから有名なクイズが流れてきた。
「琵琶湖の面積は滋賀県の何分の一を占めるか」
お笑いのネタにもなっている。滋賀県で地面は琵琶から湖の周りの国道と点在する島だけだ・・・。
ラジオのリスナーの答えも最大8割を筆頭に1/3から1/2当たりの答えが多かった。僕はそれを聞きクイズ王のような不遜な態度で1/6だよ・・・鼻で笑いながら独り言を言うのである。僕は答えを本山から教えてもらった。本山は女心以外何でも知っている。
番組で点在する島に人が住んでいると言う事を知って驚いた。北海道では洞爺湖の中の島に餌を求めてシカが必至で泳ぎ着こうとする映像が度々出る。それを考えると滋賀県はやはり土地が少ないのかな・・と思ってしまう。
面白いギャグを聞いた。滋賀県と大阪府の学生が喧嘩をしたそうである。
滋賀県の学生「琵琶湖の水行かんようにしたるわ」
大阪府の学生「そんなことしたら、滋賀県水没するで」
こういう話が大好きである。

株価と甘酢漬け

株価と甘酢漬け
アベノミクスの見せかけの成果として株価は好調である。企業の内部留保も400兆を超え過去最高である。コロナ禍だろうと儲かるところは儲かる仕組みになっている。だがこれは自助なのであろうか。株価を支えているのは我々の年金などを運用している企業投資家である。その煽りで受取年金額が乱高下する。中小企業がバタバタつぶれているが大企業は盤石である。消費税が導入されたのは経団連の申し入れで税制の直間比率を調整するためであって福祉財源に使われてはいない。それは消費税額と法人税減税額がほぼ同額であることからも判る。これは明らかに公助ではないのか。
共助として週二回ほど動きが鈍くなった母親の所におかずを運んでいる。今回は蕪の甘酢漬けを作っていった。前回好評だったのだ。酢に砂糖を溶かし蕪のスライスを浸す。上に昆布を載せておけば勝手にダシも出る。
母親の感想「株価・・・高いんだろう、すまないねぇ・・・」
ではない。
「蕪・・かぁ・・高いんだろう」である。庶民の感覚と言うのはこの程度である。

政治報道とjazz批評

菅総理の国会答弁を聞いていると7年8カ月の間一日二回官房長官会見をこなしてきたとは到底思えない。支離滅裂である。特に蓮舫議員の質疑の時は酷かった。91歳の母親と聞いていた。その母親に「総理困っているね、大変だね」と言われてしまった。
はっきり言ってこの弁舌ではプーチンや習近平と渡り合えるとは思えない。日本人として恥ずかしい。モントルージャズフェスティバルに僕のテンプクtrioが行くようなものだ。この答弁能力は番記者の出来レース的な会見を許してきた政治記者たちの責任と思うのである。
人事については答えを控える。
相手(国、企業、個人)のあることなので控える。
外交上、軍事上の機密にかかわるので控える。
仮定の話にはお答えを控える。
個別、具体の案件についてはコメントを控える。
捜査中/訴追の恐れがあるので控える・・・
いつからこんなⅡ―Ⅴフレーズが流行しだしたのだ。全く議論が深まらない。歯止めをかけなかったマスコミの責任である。訊かれた事にはちゃんと答えてほしい。それがトニックに解決することだ。政治記者の追及が手緩かったのだ。モリカケ・桜他数々の疑惑を言い逃れさせてしまった。
NHKのニュースでは総理のしどろもどろの映像は見事にカットされている。総理と閣僚の無能さと野党の鋭い追及は見せないように編集されている。できれば国会中継そのものを放映したくないはずだ。かつて国会中継をカットして一高校生のドラフト会見を放映していた。公共放送の資格なしだ。
政治報道の劣化が政治の劣化を招く。
同様の事が音楽にも起こる。こき下ろすだけでなく持ち上げるだけではない物言いがあるはずである。それが批評の地平線である。

アルバイト同窓会

開店して15年。ある時期から北大jazz研部員に手伝ってもらっている。延べ10人ほどになる。みな賢く卒業した人間は社会に一線で活躍している。多分・・・。そのうちの一人昇太が東京から訪ねて来てくれた。二年前のバイトだ。現役のバイト二名、ジャズ研OBにも集まってもらって親交を温めた。バイトの学生は僕にとって若者の情報を得る長崎の出島の様な存在である。彼ら、彼女らと一緒に仕事ができる日は東京のミュージックが来ている日でライブから打ち上げまで全部楽しい。貧乏であるが辞められないのはここに原因があると思っている。
この日集まってくれた4名には言っていなかったがもう一人来ていたのである。友恵である。その日は友恵の誕生日だった。26歳で亡くなった。生きていれば40歳である。40歳の友恵を想像しようと思ったが上手くいかなかった。悪戯っぽい表情をした26歳の友恵しか思い浮かばない。友恵は時々戻ってきて悪戯をする。前日ライブ中にかすかに他の音楽が聞こえる。ある人間の携帯のスィッチが入って音楽が流れだしたのであるがライブが始まった時は聞こえていなかった。僕はああ、また来たなと思った。同窓会の当日にもある気配を感じていた。友恵の写真は家から持ってきていた。友恵の酒もカウンターの中に置いておいた。さあ、一緒に楽しんでいきな・・・・。

国会ウォッチング

ラジオで聴いているので正確に言うと国会リスニングと言うのかもしれない。今臨時国会が召集されている。質疑の中心は学術会議任命問題である。菅総理の答弁は壊れたテープレコーダーのように同じフレーズを繰り返す。尚且つ長い答弁の時は官僚が書いた模範解答を読んでいる。聴いているだけで分かる。声に抑揚がない。それは書き譜で演奏したヤマハの教室のjazz発表会を聴いているようだ。
「総合的、俯瞰的」「99人の名簿」「憲法15条」「多様性」「旧帝大」「既得権益」。口を開くたび違うことを言う。そのつど反駁されて、また違うことを言う。全く議論が深まらない。何度もラジオのスィッチを切ってしまおうと思うのだが思いとどまる。その手には載らないぞ自分に言い聞かせるのだ。
「総合的、俯瞰的」に説明する。
こういう質疑を聴いていると政治に何を期待しても無駄だと思ってしまうのが普通だ。この学術会議任命問題もこの政府が目指す社会の一部だ。安保関連法案、特定秘密保護法の時もそうだった。反対する市民勢力の力が削がれていくのだ。今狙われているのは学者だ。かつて日本の国力が右肩上がりだった60.70年代、学生運動、市民運動が盛り上がった。政府にとっては莫大な統治コストがかかる。政治に興味を失った国民が増えれば増えるほど「統治コスト」は下がっていくのである。菅政権の最優先政治課題はその事である。