憲法記念日に思う

2001年衆院テロ対策特別委員会の参考人としてアフガニスタンで活動する中村哲医師が発言している。自衛隊の海外派兵に対し真っ向から反対し自民党議員の薄汚い野次を浴びた。憲法9条に関することでもあるが日本は戦争を放棄した国としてアフガニスタンでは知られている。支援物資を送りたいのであれば堂々とトラックに日の丸を掲げ走行すれば拍手をもって迎えられるだろうと言う事だ。
昨今改正論議が喧しくなりつつある。そもそも裏金をため込む犯罪者に改憲の議論などしてほしくないし改憲がなされたとしてもどちら道守らないのではないか。
憲法は法律ではない。国のかたちを表すものである。法律ではないので罰則もない。臨時国会の開催要求を無視しても唯一の立法機関である国会を無視し閣議決定で安保法案を決定しても御咎めはない。
そもそも憲法の基軸は何であるのか。
伊藤博文が大日本帝国憲法を上程するにあたりドイツ憲法を研究していたがアメリカ合衆国憲法を批准する論文「フェデラリスト」に執筆したアレキサンダー・ハミルトンに傾倒していた事はあまり知られていない。根底にはキリスト教に対峙するという考えが有る。伊藤はそういう考えがない日本に憲法を定着させるにはどうしても皇室の存在が必要と考えた。それを1回転させた形で現在の日本国憲法が有る。成立過程においてGHQが介入してきたのであろう、だが77年この国を守ってきた守護神の基軸がどこにあるのか再度考えてみたい。この憲法の裏側には何百万人もの死者がいる事を忘れてはいけない。憲法には色々なブレーキ装置がついている。一気に火の玉作戦にならないために・・・。国は会社ではない。トップダウンで物事が決まるわけではない。推したり引いたり・・・本当に面倒くさい。だが民主主義とはそういうものである。
付記
ジャズにとっての憲法とは何か・・・を考えてみると面白い。ある程度知識のある人は「バップ」と答えるかもしれない。ヒント「バップは民法みたいなものである。」