カサブランカ

永遠の名画である。名セリフの宝庫であり、名曲「as times as go by」が花を添えイングリット・バーグマンは透き通るほど美しく、ハンフリー・ボガードは男のあこがれになるほどかっこ良い。だがここではそれらを封印して当時の国際情勢と言う視点から語ってみたい。この映画を初めて見た時ある場面に違和感を持った。
時代は第二次世界最戦時、ドイツ軍がパリに侵攻し難を逃れてきた人がカサブランカに集まり安息の地を求めて機会を待っているのである。ドイツのストラス少佐がカサブランカを訪れる。この地は仏領モロッコである。ご当地の警察署長ルノーが出迎える。イタリアの警察関係者も顔をそろえている。戦争が終結した時点ではフランスはちゃっかり連合国側に名を連ねているがこの時点では枢機軸側であったのである。いつから同盟の枠組みが変わったのだと言う違和感であった。ハンフリー・ボガード演ずるリックはアメリカ人の設定でスペイン戦争などでレジスタン側に加担した経験がある。イングリット・バーグマン演ずるイルザの夫ビクターラズロはフランスレジスタンスの英雄でもある。これらの人間がリックの店で和気藹藹でなないが大人の振る舞いで酒を酌み交わしているのである。呉越同舟どころの話ではない。
ドイツ軍が侵攻してくると言う事で脛に傷あるリックはイルザとパリを離れようとする。だがイルザは来なかった。普通のパリ市民はドイツの占領下で制約はあるが普通の生活をしている。当時のフランス政府のトップはペタン元帥でビシー政権と呼ばれ対独協力政権であった。ドゴールは独立政府を名乗るがイギリスで亡命生活である。ところが戦況が連合国側に傾くとレジスタンス活動も活発化しドゴールは外交手腕を発揮し連合国側に入ってしまうのである。
終戦後は臭いものには蓋をしろとばかりにビシー政権下でのことは語られることは少なかった。日本の終戦もねじ曲がった形で迎えたがフランスも相当のものであった。映画のラスト近くでリックはイルザとビクターラズロを逃がすために追ってくるストラス少佐を撃ち殺してしまう。だがそれを見ていたルノー署長はリックを庇う、そして手にしていたミネラルウォーターをごみ箱に捨てる。その瓶には「ビシー産」と書かれている。当時のフランス国民のねじ曲がった感覚が象徴されている。
当時のフランスは密告社会でユダヤ人を中心にゲシュタポから逃げ回っていた。その辺の状況はクロード・ルルーシュ監督の「遠い日の家族」や「愛と悲しみのボレロ」を見ると実感できる。重い話題を美しい映像で表現している。
ではイタリアはどうであったのであろうか。イタリアは日独伊三国同盟を結んでいたので敗戦国の印象があるが土壇場で日本にも宣戦布告をしている戦勝国側なのである。ただドイツ軍がローマに侵攻してきた時に国王エマヌエールは市民を残して自分だけトンずらしてしまった。トップがいなくなったイタリアではパルチザンとファシストの生き残りとの内戦が続く。
どちらも勝ったのだか負けたのだか良く分からない状態で終戦を迎えたが指導者の力量の差でフランスとイタリアでは戦後の国の在り方が大きく変わってしまった。イタリアのその時代の映画にはクラウディア・カルディナーレ主演の「ブーべの恋人」がある。パルチザンであったブーベことG・チャキリスは刑務所に収監されてしまう。K・カルディナーレは面会に行く汽車の中でひとり呟く。「10年待っても私はまだ30歳。まだ子供も産めるわ・・・」意志の強そうな目力が凄い。
始まりと終わりが違う曲になってしまったような文章になった。
付記
「ブーべの恋人」を見た時の事ははっきり覚えている。調べれば日にちも限定できる。高校二年の学校帰りに今は亡き須貝ビルの弐番館でみた。クラウディア・カルディナーレの美しさに気を取られ学帽を忘れてきた。取りに戻ったが無いと言われた。僕のファンの女子高生がたまたまいて大事に持って帰った可能性もないではないが普通は亡くなる代物ではない。当時高校では制服自由化の動きがあり近い将来制服が廃止になりそうな気配があった。それで帽子を被らないで通学していた。ところが同じバス停から数学教師のIが乗り合わせる。毎日帽子はどうした、帽子はどうした・・・と言われるものだからレコードを買うために昼食を抜いて貯めたお金で帽子を買った。その翌日制服が廃止になった。