三島由紀夫VS東大全共闘

1969年安田講堂陥落後の東大全共闘の活動の記録ドキュメントである。なぜ討論の相手に三島由紀夫が選ばれ三島はなぜ出向いたのか。その一端が理解できるドキュメントである。当時の学生運動は60年安保の直系であり反米愛国の思いが根底にあった。三島とは思想的には全く異なるものではあったが反米愛国の思いには通ずるものがあったと言う事である。三島は討論の中で「天皇と言う言葉さえ言ってくれれば私は君たちと一諸に安田講堂に籠城したであろう」とさえ言っている。
一人敵地へ乗り込む三島由紀夫。そこには1000人の学生が待ち構えている。怒号と罵声が飛び交い討論の程などなしえないと思いきや想像と全く違っていた。友好的とまだは言えないが笑いなども入り混じる討論であった。三島は実に丁寧に学生の質問に答えている。言葉を荒げることも無い。そこには1000人の学生を本当に説得しようという意気込みさえ感ずるのである。三島は丸山真男を頂点とする東大権威主義に反抗する学生に共感している。三島は認識より行動を・・・という意味に於いて反知性主義を唱えている。ここで用語だけの問題なのかもしれないが気になることが有った。僕は反知性主義と言う言葉を自分の都合の良い所だけつなぎ合わせて理屈を作る方法論と理解していた。三島の言う反知性主義は反教養主義と言う方が適切ではないのか。このフィルムの中で作家平野啓一郎が言っている。三島の文学の中には苦節何十年で何かを成し遂げると言った類のものは皆無であると。散る桜的なものに憧憬を抱き実際にこの二年後市ヶ谷駐屯地でクーデターを試み失敗すると自害して果てた。その行動を裏付けるセリフをこの討論の中で言っている。
この映画を見ると当時の事を想い出す。僕は毛のふさふさした高校生だった。全共闘運動は全国に飛び火し北大でも中央図書館が占拠される事件が起きた。物見遊山で見に行ったが北大正門前は機動隊が陣取り、信号は金網で防護され物々しい警備であった。勿論構内には入れない。これは後で知ることになったのだが図書館には僕が引き継ぐこととなるGROOVYのマスターが籠城していた。