東京物語

念のために言っておくが東京五輪物語ではない。
言わずと知れた小津安二郎監督の代表作である。この映画を見るといつもデジャヴ現象にとらわれる。時代設定が自分の生まれた時代に近いからなのか実際子供の頃見た映画だからなのかははっきりしない。高度成長期に於ける日本人の生活様式、家族制度の変質、大人とはといった問題がすべて穏やかな形で詰め込まれている。
尾道から老夫婦が子供たちに会いに上京してくる。長男は町医者、長女は美容室を営んでおり生活に追われて忙しい。一番誠実に応対してくれたのは戦争で亡くなった次男の嫁紀子(原節子)であった。結婚すると言う事は旦那の家に入ると言う事を意味する。戦争が終わってもう8年もたつのに紀子は次男の写真をまだ飾っている。位牌はないのでまだ戦死公報が入っていないと言う事だ。周吉(笠智衆)は紀子にもう次男の事は忘れて再婚してもいいと言う。老夫婦は子供たちに気を使い早めに尾道に帰ることにする。その帰路で妻とみ(東山千栄子)は「これでみんなに会えたから、何かあってもわざわざ来てもらわなくても良いね」と夫に告げる。このセリフが伏線であったかのようにとみは尾道に帰って間もなく亡くなる。周吉は葬儀に来てくれた紀子にとみの腕時計を形見として渡す。形見分けは家に縛る行為の象徴である。これが佐分利信が渡したなら、いくら口で「息子の事は忘れても良い」と言っていても「わかっているだろうな」という家父長制の残滓をぷんぷん感じさせるのだが笠智衆がひょうひょうと言うとどちらの解釈も有と思わせる。葬儀を終えた周吉は「今日も暑くなるなあ」と独白する。こういうところに昭和の大人を感じる。とみの年齢を聞いてびっくりした。僕とほとんど同じ年なのである。大人になると言う事は苦い、あるいは切ない時間に耐えられるようになると言う事である。
映画のラストシーン近く尾道の寺での周吉と紀子の2ショット。小津監督の血縁ではない共同体のありようを示唆している気がする。周吉は小津自身でもある。
小津は生涯独身をとおして1963年に亡くなった。原節子はその日から公の場には姿を現していない。
付記
義理の親をもてなすために紀子はかつ丼の出前を頼む。やはりこの時代かつ丼は御馳走だったのである。ドラマでたたき上げの刑事が落としにかかる時もかつ丼だ。「クラブサンドイッチ食べるか」と言うセリフは聞かない。公務執行妨害で取り調べを受けたDさんに聞いたがかつ丼を出前してくれる親切な警察はないと言う事だ。