空手9段のたとえ話

学生に徴兵制が復活することはあり得るかと訊かれたことがある。答えは残念ながら「yes」である。今の政治の在り方を黙認し続ければあり得ることである。教育基本法が改変され愛国心、道徳心などが盛り込まれ集団的自衛権の行使が容認された。沖縄では港湾やら滑走路が整備され自衛隊が駐屯する地域が増えている。僕も何度か訪れたことがある石垣島の海水浴場にPAC3が配備されている映像を見て驚いた。世は少子化である。実業界でも人手不足である。自衛隊も定員割れである。ある自治体では高校卒業生に自衛隊員募集の案内が送付された。今回の岸田総理のアメリカへの卒業旅行で自衛隊とアメリカ軍との作戦の統合に関する声明を発表した。これで安全保障に関する建付けはガラッと変わる。国会ではほとんど議論されていないことがアメリカの議会でジョーク交じりで語られる。安倍前総理も防衛費2%まで増額の発表も国会で議論される以前にアメリカ議会でのスピーチで発表された。これ自体重大な憲法違反である。そして現在憲法を守らない人間が改憲を議論している。
憲法は法律ではない。国の在り方そのものである。もう一度そこに戻って考えてみる必要性を痛感している。ネットでいい例えを見つけた。憲法が国を守っている。絶対に喧嘩をしないと誓った空手九段の人がいるということである。喧嘩に巻き込まれないのは空手が強いからではない。絶対に喧嘩をしないと誓ったからだ。アメリカやロシアを見ていると火を見るよりも明らかである。この手の話しをすると必ず「お花畑」といちゃもんをつけてくる人種がいる。例えばであるがアメリカのそそのかしに乗ってトマホークの1発でも中国に撃とうものなら何十倍返しでミサイルの雨が降るであろう。だがその前に食料品の自給率が少ない日本は中国からの輸出が止まったとたん確実に死ぬ。どちらがお花畑であるのか。