古舘賢治(g.vo)板橋夏美(tb)
このDUOは時折ライブで歌謡曲を挿入して来たらしいが、当夜は、昭和歌謡のみに撤するとのことであった。「昭和」は、先ごろ二つ前の元号になってしまったが、ある年齢層の人たちにとって、それは今より不便な黄金期といえるものだ。筆者にとってその時期は1960年代のような気がする。あらかじめ何人かの歌手を思い浮かべていたが、結果的に的中率は非常に悪かった。それはそれでよいではないか。昭和歌謡と言いながら、最初は「ミスター・ロンリー」が選ばれた。この曲はご存知のとおり“ジェット・ストリーム”のテーマ曲である。古舘は間奏で城達也のあのナレーションを再現して見せた。彼はやるべくしてやった立派な確信犯である。いよいよ本題に突入するが、昭和63年間初期の頃の藤山一郎「酒は涙か溜息か」と李香蘭「蘇州夜曲」で口火を切った。これらの曲は勿論リアル・タイムで聴いてはいないが、その後の“ナツメロ”歌謡番組で耳にしていたものだ。後者の方は時折ジャズ演奏でも聴かれる。少し驚かされたのが、鳥羽一郎の演歌ド真ん中「兄弟船」だ。この曲には“型は古いがシケには強い”という漁師のリアリティーを込めた一節があるのだが、古舘流にかかると富裕層が所有する冷暖房、テーブル・ソファー、洋酒完備のクルージング船の雰囲気だ。その洋酒に手を出したわけではないが、聴くにつれ酔いが回って結構いい気分になってしまった。他の曲名は余りよく思い出せないが、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」のほか「影を慕いて」ディック・ミネ、坂本九、サザン・オールスターズの曲だったと思う。このライブは長い昭和の代表的な曲をLCCでひとっ飛びさせてくれた。予想した江利チエミ、西田佐知子、伊藤ゆかり、ザ・ピーナッツ。ハズれはしたが、満天の星をいただく歌謡の海に浸り、刹那の上機嫌を味わうことができた。
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは古舘健治、チーフ・キャビン・アテンダントは板橋夏美でした。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2019.5.3 松島啓之の嬉しいTPP
松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳真也(b)舘山健二(ds)
トランペットを聴く機会はそう多くはないが、毎年やって来る松島によって、この楽器はやはりJAZZの花形であることを印象付けられてきた。松島を聴きに来る人々は同様の印象を持っておられるのではないかと思う。JAZZファンは結構得手勝手なところがあり、ギターは聴かない、ヴォーカルも聴かない、フォービートしか聴かないなどという人もいる。好みというのは個人に独占権があるのでケチの付けようがない。かく言う筆者も松島が関わるルパンや熱帯を殆ど聴いていないので、偉そうなことは言えない。話は変わるが、確か松島はC・ベーシーを聴いてJAZZに開眼し、ブラウニーやL・モーガンに多大な影響を受けたというのが音楽人生のイントロだったと思うが、この日もC・ブラウンで有名な「神の子はみな踊る」、モーガンが十代に吹き込んだ「PSアイ・ラヴ・ユー」が採りあげられていた。松島の聴きどころはバップを消化し切っていることはもとより、その突き抜けるような音圧や艶やかな音色にある。それが聴きながら“いま私たちはいい場所にいるな”と思わせてくれるのである。繰り返し聴きたくなる演奏家には、必ずそう思わせる魅力が潜んでいる。例えば「ライク・サムワン・イン・ラヴ」のようなバラードにおいては“長い年月”によって蓄積された質感が伝わって来て、深く聴き入ってしまうのである。その“長い年月”を確かめようと、翌日、松島が28歳の時にリリースした初CDを聴いてみることにした。音のコクに違いがあるとはいえ、それを払拭して余りある演奏力は実に見事なものと感じた。若い時には若い時の良さがあることを再認識した。その他の曲は、帝王の「マイルス・アヘッド」、名盤“オーバーシーズ“に収録されている「エクリプソ」、スタンダード「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー」、松島初期のオリジナル「トレイジャー」、「ジャスト・ビコーズ」それと熊本の震災直後に作ったという「リトル・ソング」、T・ジョーンズの佳曲「レディー・ラック」、C・パーカー「オーニソロジー」が演奏された。トランペットの優先道路というか、トランペットで決まりという曲がある。この日は、そうした曲がズラリと並べられた。これら嬉しい曲の一覧表をトランペット・プログラムといい、略して”TPP“と云うのだそうだ。
ところで、演奏された「オーニソロジー(鳥類学)」は、C・パーカーがバードの愛称に引っかけて名付けたものであるが、その後J・コルトレーンが“ブルー・トレイン”の中に新種の「レイジー・バード」を収録した。時を経て、「レイジー・バード」はJAZZの発信基地として札幌の鳥類図鑑にその名を留めている。これは史実に即した作り話だが、「鳥類憐みの令」も支援するJAZZ文化の保護区から良質なライブがますます飛び交わんことを願う。
(M・Flanagan)
2019.4.10~13 14周年 連夜の三小説
これまで3月アタマに設定されていた“周年企画”は暴風雪に邪魔だてされてきたので、今年から少し後ろの“It might as well be spring”の日程に切り替えられた。お陰でウェザー・リポート確認の神経戦からは解放されることと相なった。連夜のライブを以下、三小説にまとめた。
2019.4.10 田中朋子(key)岡本広(g)米木康志(b)
‘80年代から夫々を聴いてきた。この組み合わせはここのところ年一で実現しており、感慨を凝縮してくれている。この日の臨戦態勢をお知らせすると、田中はピアノとピアニカの二刀流、岡本はギター・デュオ以外では珍しいエレアコ、米木は勿論ナマ音である。このトリオの面白さは、是非は別として田中と岡本が米木に対して人一倍敬意を払っているため、演者でありながら客のようでもあるところだ。米木がいつもより二歩前という危険な位置なので、ナマ音が田中と岡本を幾重にも包囲するかのようであり、それが札幌レジェンドの意気込みを押し上げていたことを伝えておく。演奏曲は「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「ケアフル」、「ベイジャ・フロー」、名曲「ヴェガ」「ウイッチ・クラフト」等。なお、アンコールはフェリーニの道から「ジェルソミーナ」、ピアニカの音色が人間の無垢に届いていたのではないか。
2019.4.11 荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
荒武はこの一年余りでかなり当地での知名度を上げて来た。初登場となった昨年の冬の終わりに本文冒頭のごとく吹雪による飛行機の遅延で、その日は1ステのみに終わった。歯切れのよいタッチと本田竹廣さん直系のブルース感覚はこのピアニストの個性を印象付けるに十分なものであった。本人は今でも“申し訳ない”と思っているが、不可抗力を跳ね返した鮮烈な演奏が荒武のLBデビューであった。今日の演奏曲は荒武精神が全開の「ユー・アー・マイ・エブリシング」、「ラブ・ユー・マッドリー」、「アイ・フォーリン・ラブ・トゥ・イージリー」、「シー・ロード」、「ビューティフル・ラブ」、「オール・ブルース」、「閉伊川」、「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」等である。ここでは多くを触れないが、毎回演奏している自作の「閉伊川」は、周年記念ならではの日々編成の流れが変わる展開となって、このトリオが明日の豪華絢爛カルテットへと繋がっていくことになるのである。
2019.4.12-13 池田篤(as)荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
池田についてはこれまで何度もレポートしてきた。30年くらい前から聴いてきた意識の連続性は、大体同じことを書かせてしまうのだが、かろうじて差異を持たせてくれるのは、今回はやらなかった「フレイム・オブ・ピース」が演奏された6、7年前ぐらいを境に、それまでにないものが付加されていると思い始めたことが大きい。感動に質的変化があったと言ってもいい。それは池田と楽器との同一性から生まれる音であって、純粋に彼が今日を制している音のことだ。池田が病を克服して来たことと彼の演奏を過剰に結びつけることを本音ではしたくないと思っているし、そういう聴き方は邪道だとする指摘もがあるかも知れない。しかし、感傷的と言われようが何と言われようが、いま池田の演奏にはサイドメンの他に彼の人生の内側が伴奏していると思うと、込み上げてくる特別な感情を排除することはできない。知られているとおり、この第一人者は若い時から圧倒的なプレイを展開してきたし、その価値は決して朽ちるものではないが、筆者はここ数年の中で池田最大の聴きどころ見つけたと思っている。と同時に身を削るように吹き出す池田を案じてもいる。ところで、長らく池田を聴いてきたことは既に述べたが、これは年数自慢の話ではなく初聴きの人にとっても池田クラスになると、十分胸を打たれるだろうことには語気を強めておきたい。少々思いが入り過ぎて来たので、ちょっと会場を覗いて見るとしようか。満席にぶつけて来たのはH・モブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、バップ系の曲に熱を通すのはお手のもの、いきなり汗がほとばしる快演でスタートした。バラード「アローン・トゥギャザー」と「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」、は池田にとって最高の仕上がりかどうかは分からないが、しなやかな弱音は最高に染み入る演奏であった。池田作の「ブレッド&スープ」、序盤はほのぼのとしているが、段々と火加減が強められて、パンもスープも一級の味で提供された。本田さんの「シー・ロード」は四者の一体感が大気圏に再突入するアポロn号が受けた引力のように我々を引き込む歓喜の調べ。次の「ブルース・オブ・ララバイ」は多分池田の曲と思われるが、濃い口のスロー・ブルースが場内に充満していく。「エヴィデンス」の逸話として、かなり前に北海道ツアーした時にセシル・モンロー(ds)がこの曲を知らず、しかし一瞬のタイミングも外さずやりきったという思い出が紹介された。この日のもその一瞬のタイミングの完全試合。そして荒武トリオ欄で予告した「閉伊川」。実は、前乗りで来ていた池田が前日のトリオ演奏の後半に顔を見せた時、偶然、今回初共演する荒武の「閉伊川」を耳にしたことが切っ掛けで、カルテットで演奏することになった。池田の音色によって岩手県宮古市を流れる閉伊川は、一地域の流れに留まらぬ深みを得たように思う。両日ともトリを取った曲は、辛島さんに捧げた「ヒズ・ウェイ・オブ・ライフ」。混然一体の中を疾走する池田が、俗人の雑念を一掃してくれた。熱い演奏、スリル満点の演奏、創造性溢れる演奏、どれも当たっている。アンコールは初日が「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」、翌日は「インナ・センチメンタル・ムード」。池田のバラードは文句なしに素晴らしい。けれども音の出るレポートを書けないのは文句なしに悔しい。
終演後、抜群のコンビネーションを見せつけたこのメンバーによるライブは、ここ以外では実現しないだろうと、その貴重さに思いを馳せていると、視線のあった池田がニコッとしてくれた。にもかかわらず筆者は池田にではなくカウンターに向かって“お愛想”をしてしまった。
(M・Flanagan)
2019.3.28 八木に弾かれて
八木隆幸(p)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
北海道でのライブは初めてだという八木隆幸氏。この大学准教授のような名前を知らなかった。足を運ばせたのは、その日が金曜日という偶然に過ぎない。まずは、演奏曲を紹介しよう。「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」、F・ハバードのワルツ「アップ・ジャンプド・スピン」、「ハヴ・ユー・メット・ミス・ジョーンズ」、「ピース」、W・ビショップ・JRの飼い猫の名から自作「サッシャ&JJ」、「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」、「ストールン・モーメント」、D・ピアソン「ジーニーン」、「ファースト・ソング」、自作「ヴュー・フロム・ニュー・アーク」、ジョーヘン「セレニイティー」、「キャラバン」、R・ウェストン「リトル・ナイル」。スタンダードや人気曲が多く盛られており、最後まで淀むことなく進行した。この人の特徴は何といっても歯切れの良さとアクセントの付け方が巧みなことだ。このことが端正さを失うことなくダイナミックにスイングさせることを可能にしているのだろうと感じた。今回は臨時編成のトリオなこともあって大きな展開を狙ってはいなかったように思われるが、その分だけ散漫になるのが回避され、どちらかと言えばスタジオで録音しているのをその場で聴いているようなライブだった。演奏の合間々々の語りによれば、自身の原点をビ・バップに置いていることやN・Y時代はこの日の演奏でも採り上げたW・ビショップJRに師事していたこと等を披瀝していた。こうした断片的情報と演奏が繋がり始めると、この人の目指してきた演奏家像が少しずつ視えてきた。八木は演奏をキッチリ仕上げることに細心の注意を払うタイプなので、聴く者の耳に納まりが良く、こういう正統派の演奏家にはきっと根強いファンがついているに違いないとも思った。
終演後、八木とささやかな共通話題があることが判明し、その勢いで昨年リリースしたCD『New・Departure』を手にする羽目になった。そのCDは、“Out Of The Blue”のラルフ・ボーエンら2管と強力なリズム陣を配したクインテット編成のもので、聴いてみた八木の印象は本日と同様にバップ精神を今日的な色彩に塗り替える姿勢が明快に伝わって来た。アルバム全体もスリリングで分厚い演奏が楽しめる会心作であると推奨しておく。なお、かつて“山羊にひかれて”というカルメン・マキの歌があった。今回初めて“八木に弾かれて”の機会を得たが、次回があるか否かは誰も知る“メェー”。
(M・Flanagan)
20193.22~23 Rock-Queen LUNA’s Rhapsody
LUNA(vo)碓井佑治(g)秋田祐二(b)大山淳(ds)
Rockの狂宴は4回目に突入した。今回は近く東京に活動拠点を移す碓井の送別を兼ねており、碓井上京のcome・rainと14周年のcome・shineとが交錯していたのである。回を重ねて来ているが初回以降、LIVEの鮮度は失われていない。我々にとって継続と惰性との境界はどことなく曖昧である。継続するこのRockの狂宴においては不可欠の黄金のメニューがある一方で、いつも創作料理が振る舞われ、それが惰性の抑止力となっている。今回の創作は何だ?気にはなるが、いろいろ詮索している場合ではない。今を楽しむだけだ。早速、碓井がザ・バンドの「オールド・デキシー・ダウン」、「ザ・ウェイト」を持ち込んだ。ザ・バンドの曲は泥臭いが、信仰心の薄い者にでさえ時々賛美歌のように聞こえてしまう。今回はこれに留まってはいない。昨年来ロング・ラン中の映画「ボヘミアン・ラプソディー」から同名主題曲が選曲されたのには100パー驚かされた。しかも本邦初公開のピアノを演奏して歌い上げたのは、LUNAの作戦勝ち以外の何ものでもない。ピアノに向かうLUNAの後ろ姿は、ダイアナ・クラールのそれに何ら引けを取らない、と持ち上げておこう。更に畳みかけるように「ウイ・ウィル・ロック・ユー」、「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユー」、「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」、「レディオ・ガガ」を連唱し、ついにこの瞬間Rock-Queen LUNAが誕生したのだった。筆者は、クイーンを聴きたいというより果敢に挑戦したLUNAの姿勢に心から敬意を表したいのだ。なお、不可欠の黄金のメニューは、「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、「オールド・ラブ」、「ホンキー・トンク・ウイメン」、「ムーブ・オーバー」、「ホール・ロッタ・ラブ」、「パープル・レイン」、「プラウド・メアリー」、「フォエバー・ヤング」、「ファイアー」、フード・ファイターズ・プレゼンツ「フリー・ウェイ・ジャム」等々。最近は年とともにバッタリ会ってその人物の名前を想い出せないこと甚だしい。それに似て2、3は、曲名に逃げられてしまった。そんな些細なことはさておき、率直な感想を言う。『あぁ、スカッとした~!』に尽きる。
余り知られていないかもしれないが、トランペッタ-のレスター・ボウイに“ファースト・ラスト”という作品がある。いま碓井は道民ラストから都民ファーストへの渦中にいる。この最後感のためか彼の泣きのフレーズには嘘っぽさがなく大いに好感を持てるものであった。碓井の旅立ちに乾杯し、LUNA魔術に完敗を認めたところで締めたいところだが、言い忘れてはいけない。秋田と大山による送別の渾身サポートは、Rockの反骨精神を放浪した経験のないミュージシャンには決して有り得ぬ一体感を作りあげていた。LIVEのサイズを一回り大きくした後ろの立役者を記憶に留めておこう。最後に客人を代表して碓井に心温まるメッセージを贈る。<人生の岐路に立つ男が早速帰路についたら、笑えねぇぞ>
(M・Flanagan)
2019.2.15 松原・若井・金の卵S カルテット
松原慎之介(as)若井優也(p)富樫諒(b)高橋直希(ds)
松原がまだ中学から高校のころ、楽器を携えながらライブのかぶりつき席にいるのを何度か目撃したことがある。その少年が数年の時を経て、あの時演奏していたミュージシャンと場所も同じLBで共演できることに本人が感慨を持つことは、晴れ晴れしい話だ。かつて、LBは飛び入りに寛容な時もあったが、近年はそれに違和感を持つお客さんに配慮して、ほぼ禁じられている。松原もそのルールの壁に泣いたこともあったと思うが、今や壁の内側に陣取るまでになっている。最初に演奏曲から紹介しよう。「Everything I love」、「East of the Sun」、「You taught my heart to sing」、「High-Ace」(オリジナル)、「Giant Steps」、「Peri’s Scope」、「Turn out the stars」、「Rhythm-a-nig」、「Star dust」などスタンダード、準スタンダードを中心に並んだ。
松原が日頃どんな活動をしているのか知らないので、今日に限って言うと松原の音には彼の匂いのようなものがあり、音回しもスムーズで質感も伴っていると感じた。まずは、そうしたことを認めておこう。その上で良し悪しは別として、聴きながらバラードのところで考えさせられた。彼は燻し銀のようにプレイしており、聴かせどころのツボを知った演奏をしていた。人によって“なかなかのものだ”或いは“今こういう演奏するの?”というように印象は分かれるかも知れない。筆者はその両方を行き来していた。これをどう理解したらいいのだろうか。松原はいま多様なことを貪欲に吸収している過程にあるのだろう。多様性に対応できればできるほど、演奏の仕方次第で殆ど解決できてしまうということかも知れない。こういう状態は、演奏家が頭角を現す時に否応なく出て来ることで、特に珍しいことではないと思いながら、LB文化史に残る偉人の慧眼「技術にようやくやりたいことが追いついて来た」という演奏家への査定を思い起していた。彼がこれからどの様な未来に向かって行くのかは計り兼ねるが、回り道が最も近道であるという条理の一歩を、見栄えのするキャノンボールな体型で踏み出したのだと思う。
共演者について少々触れよう。松原と共演することも結構あるらしい若井は久しぶりの登場になる。今回はボーカルのバッキングをしているようなところが最も楽しめた。そして、ここのピアノから引き出される知性的な瑞々しさには、何度もハッとさせられてしまった。富樫(b)と高橋(ds)は、エネルギーを発散したくてウズウズしている様子が見て取れ、ある部分において、この金の卵二人が一番目立っていたのではないか。
若手のライブ企画は最近のトレンドになっているとは云え、この日は年齢的に極限の若者が起用されていて、何となく救われたような気分になった。ふと、BST(ブラッド・スエット&ティーヤーズ)に“微笑みの研究”という曲があったのを想い出していた。数年後には彼ら(松原・若井を除く)が微笑むか否かの研究結果が露わになることだろう。それを楽しみに待っているとしようか。
(M・Flanagan)
2019.2.8 碓井佑治Food fighteresの野望
碓井佑治(g)秋田祐二(b)大山淳(ds)
フード・ファイターズ。命名の由来は知らないが、米国ロックバンド名からのパクリと飢餓に瀕した碓井の日常を掛け合わせたものと推察する。面白がるのは程々にするが、このトリオを聴けるのはしばらく遠ざかりそうなのである。この春には、あぁ果てしない夢を追い続け“大都会”に進出するのがその理由だ。LBのお客さんの多くは、熱気渦巻く一哲ラウド・スリー・ウイズLUNAでの碓井しか知らない。しかし、統計操作をするまでもなく、客入りと演奏の面白さは全く別である。出自がロックやブルースの彼の音から、凡百のJazzを凌ぐものを聴きとれることができるのである。この日の演奏は、B・コブハム、J・ベック、J・ザビヌルの曲、「Food・fighters」、「ラスト・トレイン」、「ローンズ」、「エヴィデンス」など。時折、グレッグ・オールマンのような音に聞こえて来て、個人的に上機嫌な心模様だ。40年ぶりの寒波に見舞われた札幌だったが、ベテラン二人の強力サポートもあってホットへの突入が果たせたのではないかと思う。
碓井ら若い世代は筆者らがクリームやツェッペリンをリアル・タイムで聴いていたことを羨ましがる。だが、筆者がニルバーナを聴けば、あと一歩入り込めない。一気に感動の境地に入り込める世代が羨ましいのだ。世代は偶然の悪戯にすぎない。どちらの世代もパーカーをリアル・タイムで聴いたことがなく、この勝負引き分けとしよう。
脱皮できないヘビは死ぬと言われるが、彼は東京に脱皮への野望を見出そうとしている。係長の出張のように3泊4日になるなよ。なぁ、碓井。God・bless・you!
(M・Flanagan)
2019.1.25 Maxime Combarieu Japan Tour
マキシム・コンバリュー(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
昨年初登場のマキシムを聴き逃していた。軽めにいうと、洒落たモノが聴けるかも知れないというぐらいには、興味深く足を運んだ。ルグラン、バルネ・・・あまりフランス・ミュージッシャンを思いつかない。そうこうする内に開演だ。今回は、最初に聴き終えた時の印象から言ってしまおう。マキシムは、ピアノの打楽器的な要素を極力抑えた演奏家だと思った。フランス語による柔らかな朗読を音に変換しているような感覚に捕らわれたと云えば、少し近いかもしれない。筆者は、かつてイギリスのトラッド音楽をよく聴いていた。高揚も哀愁もこの人達にしか表現できないに違いないと思っていたが、そのことを想い出した。マキシムも他のあちこちで耳にしているジャズとは異質である。重要なのは、ここにフランス人としての彼の個性が表出していることだけは、正当に評価されるべきであるということだ。そろそろ選曲を紹介する。H・シルバの「ストローリン」、オリジナル2曲「4PM」、「サニー・デイ」、マイルス「ソーラー」、オリジナル「セーヌ川ブルース」、エバンス「ナーディス」、T・ハレル「セイル・アウェイ」、映画シンデレラから「ア・ドリーム・イズ・ア・ウイシュ・ユア・ハート・メイクス」、「(無題)」、アイルランドの街への思いを綴った「キルケニー」そして「酒とバラの日々」で終えた。熱く汗臭いバップを好む信者がどう思うかは預り知らぬが、生でヨーロッパ的感受性に触れることができたことは大変貴重なことだったように思う。サイド・メンについて一言。気合の男である伊藤の中に暴れるに暴れられない抑制能力が備わっていることを初めて知ることができたのは収穫。三島は例によって「この男有望につき」の会心の演奏を披露し、LBでのランキングをまた上げたのではないか。
ところで、フランスでは商店での接客や窓口業務の態度が宜しくないと聞く。それは、彼らがサービスとは奴隷が主に仕える時のものだという認識に由来しているかららしい。観察していると、どうやらマキシムはモノ腰の柔らかな人物であることが見てとれた。帰りがけ“We Japanese know yellow-jacket people attack Presidennt マクロン”と言ってみた。彼は、はにかみ笑いを浮かべた。たった10秒の国際交流。“風のささやき”を鼻歌まじりに家に向かった。
(M・Flanagan)
2018年 レイジー・バード・ウォッチング
これまでも悪天候によって、中止になったりメンバーが揃わなかったりはあったが、今年は2月3月の断続的な吹雪、近年は常連さんのようにやって来る台風、9月の胆振東部地震など、平穏な暮らしに影を差す自然の猛威に晒された。それはLIVEスケジュールの変更を余儀なくしたが、最小限の影響に食い止められたのではないかと思う。
それでは簡単に振り返る。年明け早々の峰さんを皮切りに、菊池太光、楠井五月DUO、2月荒武裕一郎(p)・三島大輝(b)4、実力を見せつけた松島啓之4、3月石井章3with池田篤、田中菜緒子(p)3。4月RockのLUNA、ハクエイ・キムのSolo、気鋭の魚返明未(p)3、楠井バラエティー、5月北島佳乃子3。6月清水末寿(ts)4、本田珠也3、大石・米木DUO、7月円熟の中本マリwith大口・米木。9月JazzのLUNA、荒武4、10月清水くるみ・米木DUO、ドクトル梅津4、11月驚異の鈴木央紹4など多くの道外ミュージシャンの演奏に接することができた(楽器を付記しているのは初聴き)。また、サポートには餌を求めて人の生活圏に降りて来る野生動物のように若井俊也、西村匠平らが出没していたことを加えておく。彼らと共演する在札勢として重鎮の彰太さん、朋子さん、岡本さんカニさんの健在ぶりや、本山禎朗、中島弘恵、高野雅絵といった若い世代の健闘ぶりも印象に残る。また、現住所を特定できない竹村一哲のハード・ワーク、そして山田丈造の特筆すべき飛躍は新鮮な感動を呼んだ。
2018年を俯瞰すると、わが国のジャズ・シーンを担って来た世代と担っていく世代、それぞれの聴き比べと両世代の共演に焦点が当てられていたことが見て取れる。一般的サラリーマンには60才と30才の見比べはあっても対等な協働はあり得ない。ミュージシャンは実入りという重大要素を除けば羨ましい世界にいると思う。今年も期待を裏切るものは無かったので活力が湧くというものだ。余談になるが、東京の演奏家の中には、終演してから無性にジンギスカンを食べたがる肉食系がいるのを何度か目の当たりにした。夜の夜中にあんな凭れるものをと不思議がる干支がSheepの筆者なのだった。
さて、今年も終わろうとしているのに、一向に終わる気配のないのがLB名物“腹立ち日記”だろう。この国は余りにも無秩序にブレているので、スイングの何たるかを説こうとしているように見える。時の権力者たちは、最も誤魔化しを排除しなければならない商売道具の“言葉”を極限まで劣化させてしまった。どうやらこれが彼らの汚いオリジナル兼スタンダードになっていて、これを糧に生き延びているようなのだ。LIVEで商売道具の“音”を誤魔化したら間違いなくお客さんは去っていく。これが真っ当な世の中である。かつて、演奏前に“札幌で最も汚い店”と逆説を吐いた超有名ドラマーがいた。灰皿と金持ちは溜まるほど汚いというが、このLIVE会場では喫煙者は少数派に転落したので吸殻が溜まらない、資産家風情も見受けられない、つまりここは汚くないと証明して、いや強引なロジックを押し付けておく。腹立ちの下りで少し熱くなったのでリットしながらエンディングとしよう。LIVEに来られる皆さん、来年もまた共に楽しみましょう。そしてごく僅かな読者の皆さん、よいお年を よいお年を よいお年を。
(M・Flanagan)
2018.11.23 鈴木央紹カルテット
鈴木央紹介(ts)本山禎朗(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
鈴木は丁度1年前にレギラー・カルテットで来演し、圧倒的なパフォーマンスを見せつけて行った。今回は一回りと少し下の年恰好になるLB馴染みの若手精鋭を配して臨むこととなった。それはそうと、以前、ここのブログで『央紹』『禎朗』『伊陽』が難読三羽ガラスとされ、しかし、それを読めねばモグリと断じていた一行があったかと記憶している。本日はその中の二人が顔を揃えている。これも何かの縁だろう。ところで、“凄い”ということばを使わずに、その力量を的確に言い当てることに苦慮するミュージシャンは少なくないが、鈴木はその先端に陣取っている。かつてミスター・ジャイアンツと呼ばれた長嶋茂雄は、普通のことをより派手にプレーすることで衆目を独占する選手だったが、それとは違って鈴木は難しいことを平然と演奏して衆目を釘付けにする演奏家である。このカルテットでも、一人異次元で“天才話術”を連発していたが、そこに浮いた感じはなく、明らかに集団演奏のクオリティーを高める方へと作用していた。我らを唖然とさせる鈴木は、我が国のリーディング・テナーだと確信する。曲は全て本山が持ってきたもの。「エンブレイサブル・ユー」、「バップリシティー」、「イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド」、日本通のO・ピーターソン「スシ」、「ローラ」、D・ピアソン「イズ・ザット・ソー?」、「ステラ・バイ・スターライト」、「フォア」、アンコールは「ドキシー」。
2018.6.26 鈴木央紹クインテット
鈴木央紹(ts) 田中朋子(key)岡本広(g)若井俊也(b)西村匠平(ds)
この日は、朋子さんのオリジナル中心の選曲だ。朋子さんのことは岡本さんより詳しいと豪語するLBマスターの計らいであることは想像に難くない。ご存知のとおり朋子さんの作品は珠玉の名曲揃いで、彼女は“いい曲メーカー”とも呼ばれている。その朋子さんと鈴木とは初共演、したがって鈴木にとって朋子さんの曲は初演という辻褄になる。抜きんでた譜面読解力の持ち主と言われている鈴木は、この日も殆どリハなしで臨んでいるという。その朋子さんの曲は、「ヴェガ」、「ジャックと豆の木」、「一生の愛(トリプルL)」、「デイ・ドリーム」、「タイム・トリップ」。鈴木はこれら各曲を、ある時は豪快にまたある時は切々と歌い上げていく。難曲もドンピシャ!それは幾度も積み重ねて来た愛奏曲のようでさえあり、朋子さんの曲が新たな生命を宿した至福の一時でもあった。なお、その他の曲はスタンダード「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「レッツ・クール・ワン」、「酒とバラの日々」、アンコールの「ボディー&ソウル」。
“腹立ち日記”でメッタ切りにされている我が国の権力者が最も恐れていることは、「真実が明らかになること」である。それからすると、LIVEはその場で真実が明らかかになる。今回は鈴木の真実をきちんと確認させて頂いた。蛇足ながら、筆者はルパン派ではない。アンチ・ルパン賛成。ショボッ。
(M・Flanagan)