「セブンティーン」大江健三郎著

2023年3月3日大江健三郎が亡くなった。高校から大学にかけて僕は熱心な大江の読者であった。だがここ15年くらいは大江の本を開いていない。もう何年前になるだろう。大江の新刊が出た時、手には取ったが結局買わなかった。決別する時が来たように感じていたのだ。亡くなったと聞いた時代表作を一冊読んで追悼文書きたいと思っていたが中々手が伸びなかった。高校の時鮮烈な印象を持った作品を冒涜してしまいそうな思いに駆られるからだ。

まだ小学校に行く前の事である。親の言いつけを勘違いして自宅で一人かなり夜遅くまで留守番をしていたことが有る。電気くらい付けられたはずであったが何故か真っ暗闇の中で帰りを待っていた事を今でも覚えている。だんだん暗くなりこの世界に自分一人しかいなくなりその時間が無限とも思われるほど長かった。これが死の概念と繋がると知るのはだいぶ後の事となる。
次の文章は大江健三郎の「セブンティーン」の一節である。
「死ぬ瞬間の苦しみよりも、死を死に続ける時間の長さが途方もないことが恐ろしい、という感覚。
俺が怖い死はこの短い生の後、何億年も俺がずっと無意識でゼロで耐えなければならない・・・・」
この文章を読んだとき子供の時あの暗闇の中一人で膝を抱えて待っていた時の恐怖感の意味を分かったのだと思う。死と言う得体のしれないものを文章で示してもらった。少しだけ気が楽になった。だがそれを受け入れのにはその後半世紀掛かることになる。
そんなことを教えてもらった小説である。
合掌