美しい日本の現実

オリンピックの開会式に安倍晋三元総理は姿を見せなかった。あれほどオリンピック、オリンピックと連呼していた人間がである。沈む船から逃げ出す鼠のようにすばしこい。その政治的臭覚は侮れない。
7年8カ月も続いた安倍政権そして今の菅政権とは何であったのだろうかと考えるのである。自分とは考えの違う人間が居るのを百も承知で言うのであるがもう死んでいてもおかしくない人間がまだ生きながらえていると言う事実が気味悪い。菅内閣発足当時内閣支持率が一番高かったのは18歳から29歳で年齢が上がるごとに下がっている。1950年代60年代は全く逆で若い世代ほど反体制的で高齢になるほど自民党の支持率が高くなるのが普通であった。僕が子供の頃は高度成長期で家にも電化製品が少しずつ増えていった。会社員時代は所得的にはほとんど恩恵は受けなかったがバブルも経験している。3億のシャガールの絵が簡単に売れ、年号に因んではったりで出した1980ウン万円の福袋が売れたりで右肩上がりの経済を一応経験している。ところが今の若者は生まれてから日本が国際的に評価を落とす時期しか見ていない。
これからはもっと悪くなるかもしれない。それであれば予測の立たない変革よりも今のままじわじわ衰退していく方を選んでその中で勝ち馬に乗ろうとしても理解できる。相対的に優位に立てるのであれば国力が落ちることは致し方ない。すぐに日本が滅びる訳ではないし、どうせ自分が生きている間ではない。下流市民に分類された方は格差を埋めようとは考えずに自分がマウンティングできる対象を捜す。それが性差別でであったり、身障者であったり、嫌韓、嫌中のヘイトにつながったりする。オリンピックが進行中であるが日本選手が活躍すればするほど「日本凄い」の「物語」がウィルス以上に蔓延し現実を見誤るのである。過度の妄信は歴史修正主義に結びつく可能性が多々ある。マスコミも判りやすい縁故主義に絡めとられ政権に有利な情報を流し続ける。NHKはEテレまでオリンピック放送を流している。議員は自力で当選できない人物が選ばれ党の力で当選させイエスマンを増産する。内閣人事局主導で官僚たちを忠誠心の深さで格付けしイエスマンは厚遇する。ジャーナリストも大概は牙を抜かれおこぼれの裏情報を忠犬ハチ公のように大人しく待っている。次は学者たちへの踏み絵だった。オリンピックですっかり忘れられているが日本学術会議の問題も解決されていない。政権を批判する学者は公的支援を期待するなと言う事である。こうして飴と鞭で国民を亀甲縛りにして時々蝋をぽたりと垂らすのである。ヒェー・・・・だがこういう責め苦を喜ぶ国民が3割弱いると言う現実がある。世論操作は簡単になり政権運営のコストは格安になる。上意下達の株式会社方式だからである。株式会社の存在意義はただ一つ、利益の最大化。
今日7月26日は相模原障害者施設殺傷事件が起きた日でもある。優勢思想を持っていた犯人は衆議院議長宛の文章をしたためていた。分断されたものはどこかで上位者に認められたいと思うものである。この事件が安倍政権の施策と無関係とは思えない。