Jazz紳士交遊録vol9

池田篤
池田23歳の時だ。札幌でイースタシアオーケストラ、池田芳夫クァルテットで続けて聞くことができた。このサックスプレイヤーは必ず日本を代表するプレイヤーになると思った。まあ、僕が思わなくとも日本中でそう思う人が何人もいたとは思うが・・・。僕が偉いのはすぐ池田を札幌に来てもらった事だ。昔jazz人名辞典という雑誌があって演奏家の住所、電話番号が載っているのである。まだ個人情報保護法などない頃の話だ。女性演奏家の情報も惜しげも無く載っている。ストーカーには絶対高く売れる品である。丁寧な手紙を書き電話をした。池田は個人で来てもらう二番目のプレイヤーになった。スピード感あふれるフレーズ、引き締まった音色、どれをとっても一流だとその時は思った。それはほんの序章だったことに後で気づく。20年ほど前になる。打ち上げの席で米木に「池田、やりたいことがやっと技術に追いついたよな」と言われた。「そうなんです」と頷く。すごい世界だなーと思った。もっとすごいのは池田は肺癌で一度死に損なっていることだ。転移すれば助からないレベルの悪性の癌である。今も片肺で吹いている。酷使するのでその灰も肺気胸で穴が開いているのである。演奏するとそんなことは微塵も感じさせない。吹いている姿を見ると涙が出てくるのである。「池田、手抜いてもいいよ」と声をかけたくなる。池田にクリニックを受けたいというサックスプレイヤーが7,8人いて池田がニューヨークに行くまで二年ほど毎月クリニックそしてライブをやっている時期があった。僕はサックスはほとんど吹けないが池田のクリニックを何十年も聴いているので素人の欠点はかなり的確にわかるようになった。医師の免許がないのに地域の住人を直し信頼される偽医者のようなものだ。
池田はステージではクールで完璧だが、私生活は結構間が抜けている。冬に夏靴で北海道に来て転んであばら骨を折ったことがある。それに懲りた池田はそのあと札幌に来た時、演奏前に冬靴を買いたいということで靴屋に連れて行った事がある。三足も買った。
「なんで、三足も買うの」「これからも来ていいですよね」「さ、どうかな」結局三足では足りないくらい来てもらっている。問題はその後である。「篤ちゃん、これでもう安心だよね」
「そうですね」と会話をしながらホテルまで送った。車はホテルの前の横付けし玄関まで数メートルである。店で待っていると額から血を流した池田が入ってきた。ホテルの前で転んだという。えっ、数メートルしかないのに・・・・大体なんで靴屋で冬靴に履き替えなかったのと繰言を言いたくなった。額に傷テープを張ってあげた。リハ中額から血がしたたり落ちてきた。「時々テープ変えてあげるから、2ステージ大丈夫だよね」「ダメです。病院に連れて行ってください」僕は内心舌打ちしながら救急病院に連れて行った。三針縫った。その日も池田は手を抜かなかった。
置き引き事件というのもある。二年前になる。池田から羽田空港で置き引きにあったと言う電話があった。Saxと航空券だけは有るので千歳までは行けるがお金が全くないので迎えに来てほしいという。盗難届を済ませ、とりあえず飛行機には乗ってもらった。深夜航空会社から連絡が入った。誰もいない待合室に荷物が一個残っている。池田の荷物らしい。状況を分析するとトイレに行って戻る時、席を間違えたらしい。やれやれという感じだ。それ以来僕らの中では初日の業務連絡の際、「雪道と置き引きに注意」と言うのが合言葉になっている。複雑なコード進行を流れるように吹けるのに簡単なターンバックを間違えるのはよく判らない。
その池田が置き引きに会わず、雪道でも転ばなければ2月28日、29日lazy に来る。手の抜かなさ加減をぜひ聴いてほしい。