Jazz紳士交遊録vol21 佐山雅弘

ラジオを付けると村上春樹が喋っていた。「今日最後の曲をかけます」選ばれたのは佐山の曲であった。佐山は三年前に亡くなっている。村上春樹が佐山の思い出を語っていた。村上春樹は作家になる前、国分寺でjazzの店をやっていた。米木のマンションの筋迎えである。佐山がまだ国立音大の学生だった頃よく店の顔を出していたそうだ。深夜のセッションでも先輩たちに気を使い積極的には弾かなかった。そしてまだあまりうまくなかったそうだ。
僕が佐山のバンドを初めて主催した時には十分すぎるほどピアノが旨かった。「thrill me」のアルバムが出た時だ。メンバーは米木康志、小山彰太のトリオだった。何かこのメンバーに違和感を感じた。フランス料理にくさやの干物とピータンがついてくる感じだ。これがバカボン鈴木、村上ポンタだとしっくりくる。佐山は前者二人に自分にはない感覚を補完してもらい音楽の領域を広げようとしていたのだと思う。実際その違和感が現実化し彰太さんは首になった。僕は米木に佐山がどれだけあなたを必要としているかを説きどうか辞めないでほしいと言った。その当時米木は佐山を「高性能オモチャ」と呼ぶことが有った。
二度目に来てもらったのは「gombo」のアルバムが出た時だ。この時は僕が道内五か所をブッキングし会社には長期休暇届けをだし全行程マネージャー代わりについて回った。メンバーも凄かった。井上俊彦、池田篤、米木康志、村上ポンタ。佐山を含めてもう3人鬼籍に入っている。ツァーに同行すると色々なことが見えてくる。音楽的進化の過程、選曲の妙、リハーサルの仕方、そして何より人間性。
僕は佐山と付き合ってミュージシャンで初めてサラリーマンをやっても十分やっていける人と感じた。人当たりも良いし頭も良い。勿論遅刻もしない。
村上春樹も佐山が大好きで佐山が店に来ると奥から出てきてよく談笑していた。佐山はどんな職業についても上手くやっていけるタイプ・・・と春樹さんも言っていたと米木から聞いた。
ツァーが終わってしばらくして米木から連絡があった。
「まだ、佐山に言っていないのだけれど俺、佐山の所辞めるよ」
残念であった。
付記
本山禎朗ソロアルバム、大口純一郎&米木康志duo「IKKI」若干在庫在ります。ご希望の方は郵送いたします。