なんとなく その10

CSN&Yのコピーバンドの名はジン・グロスと言った。名前の由来は知らない。そのバンドで僕の高校の学園祭に出た時のことだ。そこの生徒は僕だけであった。担任の先生に職員室に呼ばれた。「学校祭と言うのは他高の生徒は入れてはだめだ」進歩的な考えを持つ先生だったのでショックだったし意味が分からなかった。同じセリフを約50年後学生に言われたことがある。僕の店にtpの松島が来ることになっていて丁度北大の学園祭と被っていた。宣伝を兼ねてどこかのバンドにゲストで松島を入れて貰えるよう当時の部長Tに掛け合った。Tは毅然と「お店でプロの人とやらせてもらえるのは光栄ですが、学園祭は学生たちのものと考えています」と答えた。そういう事だったのか。僕は学生に学んだ。
ジン・グロスでヤマハのライトミュージックコンテストにも出た。「青い目のジュデイ」をやることになっていたのだがこの曲は組曲風になっているので7分ぐらいかかる曲だ。ところが当日制限時間5分であることを知った。本番前にどこを削るかですったもんだしたことを覚えている。自分たちでもわかる不出来な演奏だった。入賞はしなかったがそれでもハーモニー賞なるものはもらった。売りはハーモニーだったので良しとしよう。勿論僕は歌には参加していない。
楽屋で練習している上手いバンドがいた。旭川のグループで後から知ったのだが玉置浩二のバンドだった。優勝したのは第一巻第百章と言う札幌教育大のグループでそのうち二人はgroovyを引き継いでからその日のヤマハの審査員だった人と店に来ている。
コーラスの練習が7割占めるバンドなのでベース、ドラム、キーボードが時間を持て余す。この間に3人で何かやっていようか…という事になった。僕とドラムはできもしないのにELPをやろうといったがキーボードは頑なに断った。プログレロックを軸にjazzに傾いていった時期だ。その1年後ドラムのNと大学に入ったら一緒にjazzをやろうと誓い合うことになる。