カジノ

今日6月19日カジノ法が衆議院を通過しているはずだ。はずだというのは何もマスコミからの報道が流れてこないからだ。折しも北大阪の大地震、ワールドカップの日本の初戦。カジノごときに構っていられないとでもいうかのように無視される。政権にとっては地震様、サッカー様と言ったところか。
この法案は今の日本、そしてこれからの日本を象徴していると思うのだ。僕は競馬もパチンコもやらない。だがそういう品行方正的な観点から反対しているわけではない。ここだけの話だが裏で博打もやっている。学生相手の忘年会ビンゴゲームで100円,200円と小銭を巻き上げている。それに日々jazzの興行を打っている。りっぱな博打だ。尚且つ田舎のパチンコ屋のように玉が出ない。先週末のライブのように珠が出た時は玉もでた。たまにそういうこともある。だから辞められない。立派なギャンブル依存症だが話は置いておく。
取り敢えず統合型リゾート施設を作れば大手の建築、土建関係は潤う。GDPも一時的には上がるはずである。懸念事項のギャンブル依存症だって問題が顕在化するのはしばらくたってからのことだ。どう考えても今国会で成立させなければならない法案には思えないのだが、甘い汁を吸おうとしている今の政権に近い一部の人がまた、強行突破をしょうとしている。依存症を防ぐため入場料6000円を取り入場回数を月10回までとする。6000円を握りしめた老人が公共交通機関を利用して来る様な大型パチンコ店の様なカジノに自家用クルーザーやらジェットで来る世界の富裕層が集まるのであろうか。カジノで利益を上げているのはラスベガスとマカオだけのはずである。目先の金に飛びついた自治体でカジノの売り上げが落ちたせいで衰退したところは世界中にいくつもある。胴元も山口組とどういう話で落ち着いたのかわ知らないがアメリカの企業が中心になる。いらないミサイルを買わされた上に莫大な手数料を持っていかれる。
「金の切れ目が縁の切れ目」は芸者だけに言ってほしい。金の論理で動くのは「無縁」社会である。勿論『情」の様な「有縁」だけで世界が回るとは思ってはいない。政治はその二つの世界をつなぎとめるのが役目と思っている。金が金を産むようなシステムを成長の起爆剤にするなど本末転倒である。