2018.6.15  今日も深い川は静かに流れる

大石 学(p) 米木康志(b) 
 このDUOはLB6月の風物詩のようなものになっている。聴衆を代表して言わせていただくが、何度聴いても心を動かされるというのが実感だ。よく優れたジャズマンを称して“名手”と表現することがある。この両者はそれだけでは言い足りなく、更に彼らを特徴づける何かが潜んでいると思わせられる。残念ながらそれを感ずることができるのは、聴いた者の特権と言わねばならない。ここ数年、大石は自主製作CDを数多く録っている。その一部しか聴いていないので詳しくは分からないが、これだけの作品を残すということはピアノによる徹底した自己追求の記録を一滴たりとも漏らしたくないということなのだろう。つまり、大石は彼の流儀において自身とピアノを一致させようとする究極のハードワークに挑んでいるのだ。オリジナル曲中心のソロ作品が多いのもそれを裏付けていると言えよう。一方の米木は長きに亘り聴き続けているが、この人は幾多の難局をロジックで克服しようとしたのではなく、飽くまで“感ずること”によって突破してきたのではないか。あの大きなグルーブ感は、“感ずること”がストックされた音楽現場からしか生起しようがないと思えてならないからだ。後ろで演奏しながら不動の地位を得ているミュージシャンは、危ない言い方だが、“感ずること”を生業とする輝かしい病を持っているに違いないのだ。演奏曲は、ピアノ・ソロの「レイン」、かつて日野元彦さんと録音しながらお蔵入りになっていたという「クレッセント」、米木のオリジナル「シリウス」、大石のオリジナル5曲「コンテニアス・レイン」、「雨音」、「メモリーズ」、「リリー~ワイン・カントリー」、スタンダードの「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」、H・シルヴァー「Peace」。アンコールはシルヴァーと同名の大石不朽の名曲「Peace」で21世紀に警告を発したのだった。
最近は立会いで変化する横綱もいて、勝ち星のためなら上に君臨する者の品格そっちのけの取り口が散見される。これは単に横綱が取った相撲に過ぎず横綱相撲とは言わない。この国には“深い川は静かに流れる”という言い回しがある。思慮ある者は小細工などせず悠然としているという意味で使われる。深い米木と静かに流れる大石。我々の日々において謙虚さに徹することは甚だ難しいが、このDUOにはいつも謙虚に耳を傾けることが出来るので助けられる。それにしても“雨模様”の曲名が多かったが、大石と雨の浅からぬ関係を聞いてみたいものだ。
翌日は、ボーカルの高野雅絵を迎えてのトリオ演奏。曲は、「Girl Talk」、「塀の上で」、「When the world turns blue」、「One day I’ll fly away」、「Come together」、「スパルタカス愛のテーマ」「Waltz  for Debby」、「Both sides now」、「泣いて笑って」、「Bridges」、「What a wonderful world」。筆者は珍しく愛聴していたA・オディのせいもあって、長らくボーカルものは歌を聴き込むことだと思っていた。それは間違えではないにせよ、そのままでは楽しみの半分を失うことになる。そのことにハッキリ気付いてからそう長くは経っていない。後ろがどれ程にか前に音の色合いをつけ、メリハリを提供しつつ、歌を輝きの中心におびき寄せていくか、決してこのプロセスを聴き落としてはならない。これはボーカルが操られる存在だと言おうとするものではなく、ボーカルの最大限の良さを引き出すには後ろの手腕が決定的な役割を担っていると言いたいのだ。バッキング最高峰の大石と米木を従え、高野は“この素晴らしき世界”を体感しながら、彼女自身ベストの出来に仕上げていた。だが、明日からはそう上手くは行くまいよ(笑)。
(M・Flanagan)