ベッシー・スミス

ブルースの女王ベッシー・スミスも蔑視されたが演奏が長くなったからではない。
森喜朗オリンピック組織委員長の発言が物議を醸し出している。女性蔑視の発言は言語道断であるが問題はそれだけではない。「私を老害と思うのなら変えれば良い」と大見えを切った。
JOCにはそんな自浄力はないことを見切っている。評議委員に選ばれる男性委員は「発言しない事」「余計な質問をしない事」でポイントをため込んで出世街道を走ってきた人間であると言う事である。菅総理も意見する立場にはないといういつものG7一発フレーズ。日本の国際的評価を下げる事に何の危機感も感じていない。サッカーで言えば完全にJ2落ちである。
結局のところ東京オリンピック組織委員会はそういう組織であると言う事である。招致の時から電通通して出どころが分からない金が胡散臭いIOC委員の所に還流されていく。予算規模も誰の承認を得ているのかもわからないままにどんどん膨らんでいく。いまだに何の説明もされていない。「汚染水は完全にコントロールされている」という嘘から始まり「お・も・て・な・し」というシルビァ・クリステルのエンディングでレースに勝利したかのように見えた。その日関係者で赤飯を食べたと言う。炊いたのはクリステル扮するエマニェル夫人である。
「エマニェル夫人、赤飯まだ?」
「今、煮える」
「お・も・て・な・し」は「表なし」であって「裏ばっかり」の渡世の任侠街道と変わらない。この不謹慎話法が通用するのはオリンピック組織委員会だけではない。日本の社会構造の縮図とみる。自民党にはこの手の政治家に枚挙に遑がない。麻生財務大臣、石原慎太郎元東京都知事同じ芸風のホンカーテナー「ゲヒン・ザ・ゲヒン」である。
森喜朗氏は、単に五輪組織委のサル山オヤジたちの上に君臨しているボスではないということだ。
 彼は、われら日本人全員を代表する東京五輪の顔でもある。
 国際社会の人々から見れば、森喜朗氏は、日本人そのものだと評価される。
個人的には柔道の山口香理事がその職にふさわしいと思っているが森喜朗委員長は変わらないだろうと推測する。色々な汚れ仕事の証拠を墓場まで持っていく約束で最後の演歌の花道を歩いているからだ。首には薄汚い色のメダルが何個も下がっている。
付記
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