何となくvol6

ウッドストックの印象は鮮烈であったが同時に見終わった時にある寂寥感を感じたのを覚えている。ロックのスーパースターが大勢出演していてそれを見たさに映画館に何回も足を運んだのだが、あのコンサートを企画した若者・・・名前は思い出せない・・・それとあそこに集まった40万の若者たちにも度肝を抜かれた。「愛と平和の3日間」と言うキャッチコピーであった。という事は愛のかけらもなく平和でもない、社会問題山積の時代でもあったのだ。ジミヘンのギターが既成の概念をぶち壊してくれるような幻想を与えてくれたが、エンドロールでジミヘンのギターが流れ、スタッフがゴミを片付けている映像が流れると祭りは終わるものだと改めて思った。あそこに集まった若者もいずれ髪を切り、ピースマークのTシャツを脱ぎ捨て、マリファナを足でもみ消し真っ白なノリのきいたワイシャツを着て5番街に通勤する日が来るのだろうなと考えていた。
北大の中をよく自転車で走る。その日も気持ちの良い夏の日で芝生の上で談笑する学生や、クラーク像の前で写真を撮る観光客で溢れかえっていた。ここに来ると時々フラッシュバックのように50年前の光景を思い出す。正門前の信号機には金網の防護網がつけられ機動隊のトラックが学生を威嚇していた。図書館前はバリケード封鎖され構内は喧噪とした雰囲気に覆われ息苦しかった。僕が後に引き継ぐこととなるGroovyのマスターもバリケードの中にいたのだ。何一つ成果を生まなかったあの運動は何だったのか。「学費値上げ反対」など口実に過ぎない。アジアの小国がアメリカと渡り合うのを横目で見ながら自分たちは経済成長を謳歌している姿を恥じていた。そして自分たちが傷つくことで少しだけ罪の意識を軽減した自傷行為ではなかったのか。
反米自主独立とマントラを唱えつつもアメリカの生み出すカウンターカルチャーに惹かれていく自分がいた。
頭の中でアルビン・リーの噛みつくような歌が流れ出した。
ウッドストックの印象は鮮烈であったが同時に見終わった時にある寂寥感を感じたのを覚えている。ロックのスーパースターが大勢出演していてそれを見たさに映画館に何回も足を運んだのだが、あのコンサートを企画した若者・・・名前は思い出せない・・・それとあそこに集まった40万の若者たちにも度肝を抜かれた。「愛と平和の3日間」と言うキャッチコピーであった。という事は愛のかけらもなく平和でもない、社会問題山積の時代でもあったのだ。ジミヘンのギターが既成の概念をぶち壊してくれるような幻想を与えてくれたが、エンドロールでジミヘンのギターが流れ、スタッフがゴミを片付けている映像が流れると祭りは終わるものだと改めて思った。あそこに集まった若者もいずれ髪を切り、ピースマークのTシャツを脱ぎ捨て、マリファナを足でもみ消し真っ白なノリのきいたワイシャツを着て5番街に通勤する日が来るのだろうなと考えていた。
北大の中をよく自転車で走る。その日も気持ちの良い夏の日で芝生の上で談笑する学生や、クラーク像の前で写真を撮る観光客で溢れかえっていた。ここに来ると時々フラッシュバックのように50年前の光景を思い出す。正門前の信号機には金網の防護網がつけられ機動隊のトラックが学生を威嚇していた。図書館前はバリケード封鎖され構内は喧噪とした雰囲気に覆われ息苦しかった。僕が後に引き継ぐこととなるGroovyのマスターもバリケードの中にいたのだ。何一つ成果を生まなかったあの運動は何だったのか。「学費値上げ反対」など口実に過ぎない。アジアの小国がアメリカと渡り合うのを横目で見ながら自分たちは経済成長を謳歌している姿を恥じていた。そして自分たちが傷つくことで少しだけ罪の意識を軽減した自傷行為ではなかったのか。
反米自主独立とマントラを唱えつつもアメリカの生み出すカウンターカルチャーに惹かれていく自分がいた。
頭の中でアルビン・リーの噛みつくような歌が流れ出した。