日本映画探訪記vol16 玄海つれづれ節

吉永小百合主演の人情コメディで風間杜夫と八代亜紀が共演している。のちの東映社長になる岡田裕介の企画で笠原和夫(仁義なき戦いの脚本家)他が脚本を手掛けている。情報通ならこのキャストだけでも映画の内容が想像つくはずである。岡田裕介と言う人物は生涯吉永小百合の最高の理解者であり支援者であった。東映と言う会社は一本当たればすぐシリーズ化し量産する「仁義なき戦い」や「極道の妻たち」は好例である。「八甲田山」が当たれば明治時代軍隊もの題名固有名詞の「二百三高地」を制作する。ではこの映画過去の何を継承しているかと言うと風間杜夫のヒット作品「蒲田行進曲」「上海バンスキング」なのである。風間杜夫は単なる二枚目俳優だったのがつかこうへいに鍛えられてコメディもできる俳優に成長していた。そこに吉永小百合をぶつけて新しい魅力を引き出そうと岡田は考えたはずである。原作は吉田兼好の「徒然草」とある。どういう過程でこのストーリーになったかは全く想像つかないが岡田は吉永小百合を引き立てる「何か」を見つけ脚本家の笠原に依頼したはずである。後で気が付いたのであるがタイトルの「玄海つれづれ節」は「徒然」と子連れのダブルミーニングになっている。
映画の冒頭、蒸発した夫の事を話し合う上流階級の家族会議の場面。「あ、やられた」と小百合ストは思うのである。吉永小百合がショートヘァーなのだ。ただそれだけで小百合ストは萌えるのである。来ている服も上流階級なので高級なものを着ているはずなのだがそうは見えない。それは吉永小百合が北九州出身の水商売上がりと言う出自のメタファーになっている。
吉永小百合は失踪した夫が北九州にいるらしいと言う情報を頼りに生まれ故郷に帰る。夫役は企画の岡田裕介が演じている。この人はいつも頼りないボンボンの役が多い。私生活そのままで何も演じていないのではと思うがプローデューサーとしては優秀なのである。吉永小百合は夫の借金の肩代わりにトルコ嬢に叩き売られるのだが東映のお客様感謝祭のサービスショットとして赤い下着姿の吉永小百合を拝める構成になっている。いかにも場末のトルコ嬢といういでたちのチリチリのかつら、百円ショップだ買ったようなヘアーバンド、安っぽいキャミソール、ドラキュラが血を吸った後のようなけばけばしい口紅。そのどれもが吉永小百合での実像をかくす小道具になっており吉永小百合のイメージが壊れないようになっている。そこには風俗嬢の吉永小百合がいるはずなのに萌えないのである。監督が五社英雄だったり深作欣二だったりすると長い濡れ場があるはずであるが岡田がしっかり吉永を守っている。
三船敏郎が地元北九州の有力者の役で出演している。炭鉱で働いていた吉永の父親とは同僚でそこから成り上がった。父親には恩義を感じていて最後は吉永を助けてくれる。三船が吉永に北九州の再開発の事を説明するシーンがある。私事であるが僕が勤務していた会社がそこに進出するときの話だった。多分三船が演じたような実在の人物がいたのだと思う。八代亜紀が取り立て屋役で出演しておりスナックで歌うシーンがある。大歌手なのに歌うと場末感が出てくる。一度だけ生歌を聴いたことが有る。バックが凄い。大石学、米木康志。セシル・モンロー、片山広明。「舟歌」など自分の持ち歌も歌ったが「you ‘d be so nice come home to」
などジャズのスタンダードも披露した。もともとクラブ歌手なので歌は上手い。ニューヨークで本家ヘレン・メリルとも共演している。エンドロールでは吉永小百合、風間杜夫、八代亜紀
の三人が踊りながら歌っている。吉永小百合のたどたどしいステップを見ると頑張れ,頑張れと応援したくなる。長々と書いてから映画とは何であったのかと考えるのである。大林宣彦監督は「映画の役目は嘘を嘘で塗り固めて一個の真実を導いだすことにある」と喝破した。ヒッチコックはそれを「映画的真実」と表現している。
ある種の映画を見るときはそういう意識を持って銀幕の向こう側にあることを探ろうとしながら見る。だが吉永小百合がショートヘアーで出てくるだけでそんな意識が吹き飛んでしまう。改めて自分は小百合ストなのだなあと思うのである。
付記
来週Lunaを迎えての16週記念ライヴ第一弾を敢行する。関東圏の非常事態宣言は解除されたものの客足は成層圏にまで遠のいている。外を歩く人の気配も感じない。レコードが終わると冷蔵庫のブーンと言う通奏音が虚しく響く。ライブ持続化CDRのご購入あるいはブログの定期購読でご支援を承りたい。ご支援いただいた部分については決して内部留保には組み込むようなことはしない。ミュージシャンの経済を1ミリでも動かすために使う事をお約束したい。
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