本歌取り

jazzの曲では原曲のコード進行を借りて新しいメロディーを乗せる手法が良く取られる。アイ ガッタ リズムを借りたオレオ。これをオレオレ詐欺と呼ぶミュージシャンはいない。ロリンズの原曲に対する敬意と「俺の曲の方がいかしてるぜ」というプライドも見え隠れして微笑ましいのである。
この本歌取りみたいな手法は文学でも使われている。村上春樹の初期の三篇「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊たちの冒険」を読んだ時主人公の「僕」と親友の「鼠」との関係はどこかで読んだことがあると思った。そうだ。Rチャンドラーの「ロンググットバイ」のフィッリプ・マーロウと友人テリーレノックスの関係に似ている。そして「ロンググットバイ」を読むと「あれ、」これも何かに似ていると思うのである。Fジェラルドの「グレートギャッビー」の主人公とギャツビーの関係に似ているのである。秘かにそう思っていた。すると村上春樹が「ロンググッバイ」や「グレートギャッビー」を好んで訳し直しているのも納得がいく。ある時内田樹先生の文章を読んでいると同じ様な事が書いてあったので僕の感想もあながち間違いではなかったと嬉しくなった。ところが根はもっと深く「グレートギャッビー」の元ネタもあるというのである。フランスの作家であったが読んだことがないのでタイトルは失念してしまったが・・・・・。こういう過去の遺産を大事にする。大げさに言えば歴史に学ぶ姿勢と言いう事はどの分野でも大事だなーと思うのである。
ここまでがバースである。テーマーに入る。
一月にマキシム・コンバリューと言うピアニストがフランスから来日する。コミユニケーションを取るために仏文化の理解を深めるのとフランス語のリハビリを兼ねてフランス映画を最近よく見ている。
リュク・ベンソン監督の「Angela」という映画を見た。「ニキータ」とか「レオン」を制作した監督である。バイオレンスアクション満載かと思ったがそうではなかった。
うだつが上がらない男がチンピラに貸した金を返せと脅かされる場面から始まる。万策尽きて橋桁から身を投げようとする。隣の橋桁を見ると長身の美人が同じ姿勢で立っている。男は女を諫めようとするが女は川に飛び込んでしまう。「何をする」と言って男も助けるために川に飛び込む。
あれ、このシーンどこかで見たことがあると思った。
男のおかげで女は助かり、お礼に何でも言う事を聞くという。「キスをしてくれ」という。女は何のためらいもなくキスをする。男はあっけにとられる。何せ長身のモデルのような美人だ。夢かと自分の頬を抓りたくなる筈だ。男は金の工面をしないと命がないことを女に打ち明ける。女は二人で何とかしようと申し出る。膝上20センチの超ミニスカートをはいたモデルのような美人である。どうやって金の工面をするかは想像の通りである。エロい場面もあるがそこは省略する。
男はヤクザと対峙し文字通り男を上げる。女の役目が終わった時背中から羽が生えてくる。そして「私には過去がないの」と泣きながら天に飛び立とうとする。女の名前は「Angela」エンジェル、文字通り「天使」だったのだ。男は「愛している。未来を作ろう」と女の足に縋る。
その時分かった。この映画はFキャプラの「素晴らしき哉人生」の現代版だと。リュク・ベンソンとFキャプラは一見つながらないが敬意と愛情を持っているのがはっきりわかるのである。それを知ってリュク・ベンソンが前よりも好きになった。セシル・テーラーがエリントンを敬愛している関係に似ているかもしれない。
最後は泣けます。

それにしてもフランス映画は危ない女を愛してしまう映画が多いなあ・・・・・
「ベティーブルー」「歓楽街」「隣の女」・・・・・・・「死刑台のエレベーター」もそのジャンルだ。
僕もフランスの血がチョット入っているので気を付けようと思う。