終戦と敗戦

「終戦の日にあたり靖國神社に参拝致しました。先の大戦で父や母、妻や子、愛する人を残し戦場で尊い命を祖国の為に捧げたご英霊に、尊崇の念を表し御霊安かれとお祈り致しました。」
安倍晋三
靖国神社を参拝した際の安倍元総理のコメントである。一見どうと言う事のないコメントに見える。重要なのは命を捧げたのではない。捧げさせられた・・・端的言うと時の為政者に命を奪われたと言う事である。必要なのは謝罪の言葉である。
また中国と韓国から猛反発を食うであろう。わざわざ緊張感を高めるような行動をして危なくなるとアメリカの後ろに隠れてアカンベェをして見せる。それは外交コストあるいは防衛コストの増加を意味する。オリンピック以上の税金の無駄遣いである。
今日8月15日は終戦記念日と呼ばれている。黙っていて戦争が終わったわけではない。ポツダム宣言を受諾して日本の敗北で戦争が終わったのである。この敗戦を終戦と呼び変えたところに戦後のほころびのすべてがあると考える。アメリカ追随によるアメリカからの独立と言ったある意味論理矛盾を起こす2回宙返り2回ひねりという「ねじれ」の中で我々は生きている。敗戦という現実を経済成長などの華麗な衣装で覆い隠してしまったことをもう一度「反省」しなおすべきと考える。そうすると基地問題、領土問題、慰安婦問題、憲法問題のスタート位置が見えてくる。
アウシュビッツでの収容を生き延び、35年間アウシュビッツ・ミュージアムの館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんが残した言葉を紹介したい。今を生きる若い世代に語り掛けた言葉である。「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」
ドイツは政権トップも謝り続けている。だから国際社会から日本のように難詰されることがない。