聖火リレー

3月25日福島から聖火リレーが始まった。大阪府 では266人感染確認、緊急事態宣言解除後最多である。この儀式の為に解除したとしか思われない。一気にオリンピックへの機運を盛り上げようとのアンダーハートが見え見えである。政府高官は宣う。「開催が前提だ。聖火リレーが始まったらもうやめることはできない」あれっ、この馬―鹿ーフレーズ聞いたことあると思うのである。真珠湾攻撃から始まった戦争が沖縄決戦まで続けざるを得なかった大本営に酷似している。パーカーフレーズのコピーは歴史を学ぶことに等しい。馬ー鹿フレーズは歴史をスィーブ愚弄すマンである。初日トーチの火が消えるアクシデントが2度あり予備の火で点火しなおした。「聖火」とはその程度の価値しか無い。 新興宗教が販売するご利益があるとされる「聖水」と同じようなものである。そもそも聖火リレーが始まったのはヒットラー政権下のベルリンオリンピックの時である。国威高揚のセレモニーとしてであった。このセレモニー全国合わせて50億の予算が掛かる。単なる「火」のリレーが国民的イベントとして押し付けられ、スポンサー企業の宣伝車を先頭に喧騒なパレードが繰り広げられる。
震災の影響が色濃く残る双葉町の映像を見た。聖火ランナーの走るコースは駅前をぐるぐる回るだけ。道路一本入ると無人の街並みが続く。復興の証としてのオリンピックとは1万光年のひらきがある。
「火」のリレーは火遊びである。子供の頃火遊びをするとおねしょをすると母親に言われたものだ。お漏らしはシーツを取り換えれば済むが放射能の漏れは取り換えるシーツがない。