辛酸震災詳細日記 その1

その日は米木康志の2daysの最終日、主賓が帰りそろそろお開きにしようかと言っていた時、揺れ出した。3時までいるという事はそこそこ飲んでいるという事でもある。棚のボトルが次々と落ちだした。押さえに行こうつ思ったが酔いのせいなのか地震のせいなのか足元がおぼつかない。揺れが収まった。母親の安否を確認する。ゼイゼイとした声で電話に出た。恐怖で息が上がっていた。「ああよかった、生きている」正直そう思った。状況を聞くと家の中はぐちゃぐちゃだという。すぐ駆けつけるから辛抱してと言って携帯を切った。数分ついていた電気が切れ、あたりは真っ暗闇になった。経験したことのない漆黒の闇だ。その時まだH恵がいた。タクシーで帰ると言って店を出たが車が捕まらず帰宅難民の見知らる女性と戻ってきた。近所のマスターがどこかでガス漏れが起きているらしいと教えてくれた、かすかにガスのにおいがする。H恵には悪いが母親のところに行かねばならないので店を閉め自転車を取りに一度自宅に戻った。石狩街道と24条通りの交差するところだけ信号が動いていた。酔っ払い運転は慣れているとは言え真っ暗の道路状況の分からない道を走るのは結構危なかった。札幌新道を渡るときは10分ほど待って車が完全に切れてから渡った。車も信号が作動していないのでノロノロ運転で渡るタイミングが難しい。実家についたのは4時過ぎであった。植木鉢が倒れて家中土だらけであった。蝋燭の明かりで部屋を見渡すと母親が寝ていた布団の上に仏壇が倒れている。腕に当たって痛いと言う。後日病院に行かせたが右腕が骨折しているとのことだ。取りあえず寝れるように片付けたがもう眠れないという。明るくなるまでは付き添っていた。水もガスも出る。食べるものもある。緊急の避難場所を確認して自宅に戻った。幸い自宅は本が散乱しているだけで食器類も大丈夫だ。布団に横になったがすっかり酔いがさめて全く眠たくない。救急車のサイレンが鳴りやまない。