2022.5.20 オール目玉、3人Side Up

壺阪健登(p)三嶋大輝(b)西村匠平(ds) 
  西村8Days、連勝街道を行けば、中日で勝ち越しである。そうなれば良いが、これは先ごろ開校した「レイジー生き残り塾」の第一弾だという噂を耳にする。聞くところによると、及第点は落第という抜き差しならぬ基準があるそうだ。親しき仲の礼儀なにするものぞということか。つかみはこのくらいにして進めよう。最近、今回のメンバーのような演奏を聴いていると、つくづく思わされることがある。気鋭の若手登場!という触れ込みに釣られて初聴きしてから僅か数年しか数えていないにも拘らず「前とちがうな」と印象づけられるのだ。ここで個人的かつショボイでストンプな話をさせていただきたい。サラリーマン稼業を卒業すると、長年つづけてきた仕事って一体何だったんだという問いかけに襲われ、立ちつくしてしまったことがあった。結局、仕事という仕事は「対処力」を養い続けることに過ぎなかったのではないかと思わされる。これは誰しも共通していることなのであろうが、しかし、音楽を含む文化活動を生業にしている人々はそれだけでは済まされないと感ずる。それは突出して固有性が突きつけられるということだ。気の進まない言い方だが。会社人が会社の法規に従い続けるのに対し、文化の人々は独自の文法を作らねばならない宿命にある。筆者にも青春というひと時があって、今時の人には馴染みがないと思うが小田実という作家(活動家)がいて、彼の講演会を聞いたことがある。彼の思想を必ずしも受け入れようとは思わないが、一つ印象深いことがあった。それは彼が聖書を大阪弁に翻訳して、それを読み込んでやろうと大真面目に言っていたことだ。滑稽な話にも思えるが、一笑に付すことが出来ない含みがあるかも知れないと振り返って思う。ここには人がどう思おうと自分的なる展開に持ち込もうとする意思が見て取れる。このトリオのメンバー個々にも小田とは別の仕様で為そうとする意思があると思わざるを得ない。であれば、演奏から受け取る高揚の一方で、彼らののっぴきならない深層に付き合わされていることになる。聴いている私たちは「感ずる」だけで良いが、彼らは絶えず「感じ直す」という次元で勝負しているに違いないというのがこのライブの感想だ。本文に目を通した各位にはカビ臭い話に許しを請うが、ライブの寸評として、壺阪が従前以上に弾き切っていたこと、サウナ汗に匹敵する三嶋の完全燃焼、西村のと切れることのない繊細かつ逞しいプレイ、そこにはこの日の目玉の3人とも「対処力」たる守りの白身に依存しない自立する黄身を輝かせていたと言っておこう。我が家にはライブの余韻割というカクテルがある。小林幸子ではないが帰宅後、無理して飲んでしまった。演奏曲は「The Days Of Wine & Roses」、「Little Girl Blue」、「SubconsciousLee」、「Turn Out The Stars」、「Bye-Ya」、「Isolation」(壺阪)、「暮らす歓び」(壺阪)、「All The Things You Are」、「It’s Easy To Remember」、「Moments Notice」、「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」。
なお、壺阪のオリジナルは、大変“お世話になっている”レイジーに捧げるとのことであった。売れっ子にスキは見当たらない。
(M・Flanagan)