緋牡丹博徒

参院内閣委員会の閉会中審査が行われているらしい。「らしい」と言うのは放映がされていないからだ。新聞にも「クマ出没」の記事が出ても閉会中審査の話題は出ない。五輪の中継で忙しいマスコミはそんなもの中継するはずがない。せめてラジオくらい電波に乗せてほしいものだ。ラジオでサッカーや卓球を聞いていてもほとんどイメージが湧かない。電波は有効に使ってほしい。重要なことがひっそりと話し合われている。
「新規感染者がどういう規模になったら政府として五輪中止の議論をするつもりか」との野党からの質問に西村大臣も内閣官房の役人も答えられなかった。東京都の感染者数が3000人を超えた時の菅総理の「お答えする内容はない」と言う会見に足並みをそろえると言う意味なのだろう。
公明党の石井啓一幹事長が27日の東京都の新型コロナウイルス感染者数が過去最多に上ったことについて「2週間前の状態が反映しているわけであり、東京オリンピックが開会したからこうなったわけでは決してない」と強調した。
2週間前といえば五輪のために海外からの入国者が殺到し始め国内も五輪準備のために全国から東京に人が集まり始めた頃である。さらに事前キャンプなどで地方都市への人の流れも活性化し始めた頃合いでもある。開会式当日に突然世界中から人が集まって始まるわけではない。
そういえばGO TOキャンペーンの時も同じことを言っていた。
組織委員会が6月に公開した都内の新規感染者数の予測データがある。内閣官房コロナ室が三菱総研に委託したものである。
「8月末の1日あたりの新規感染者数は、大会を開催しない場合は約800人、開催した場合は約1000人」
7月28日現在3000人を超えている。競馬の予想屋だってこんなには外さない。国民は博打をやっているわけではない。外れた時の今後の見通しと対策を聞きたいのだ。
今の政権は負けの込んでいる博打打ちになっている。女房質に入れても一発逆転の大博打を打とうとしている。獲得したいものはメダルだけではない。高揚感を利用した政権の浮揚策とその向こうにある選挙対策である。質に入れられる女房=国民は溜まったものではない。
ゲーテの「ファウスト」を原作にした映画「悪魔の美しさ」を想い出した。メフィトフエレスに魂を売った老教授の最後である。金貨がすべて砂になる。日本選手が獲得した金メダルとダブって見える。

兄弟仁義

義理と人情は秤にかけても良いがオリンピックと人の命を秤にかけてもらっちや困る。東京では一日の感染者過去最高、3000人を超えた。医療体制はパンク寸前。自宅で命を落とす人だって出てくる。テレビ新聞は五輪報道一色、生活に必要な情報が得られない。札幌は現在道の時短要請下にある。数値的にはステージ3でまん延防止等特別措置を国に申請しているが西村経済再生担当大臣は渋っている。補償金の問題なのか、札幌でのマラソンへの影響を勘案しての事なのかははっきりしない。日本のメダルラッシュであるが手放しでは喜べない。五輪憲章違反だと指摘されているが開催国の圧倒的に有利な状況下でコロナ禍の困難な状況で参加している国も多々ある中で報道も慎みを持つべきと考える。競争をあおる報道の積み重ねが勝利至上主義を加速させスポーツの本質を損なう事になる。
「始まったんだから、せめて文句を言わず見守れ」とか「楽しめないあなたは不幸せ」みたいな同調圧力を感じる。メダルを何個取ろうと終わってしまえばシンデレラのカボチャの馬車と同じである。厳しい戦後処理が待っている。
付記
「兄弟仁義」と書くと臼庭と駄洒落の研鑽に精進していた時期のこと思い出す。
「東大モトクロス」
「兄弟ザンギ」
このやり取りから全てが始まった。臼庭の命日も近い。

美しい日本の現実

オリンピックの開会式に安倍晋三元総理は姿を見せなかった。あれほどオリンピック、オリンピックと連呼していた人間がである。沈む船から逃げ出す鼠のようにすばしこい。その政治的臭覚は侮れない。
7年8カ月も続いた安倍政権そして今の菅政権とは何であったのだろうかと考えるのである。自分とは考えの違う人間が居るのを百も承知で言うのであるがもう死んでいてもおかしくない人間がまだ生きながらえていると言う事実が気味悪い。菅内閣発足当時内閣支持率が一番高かったのは18歳から29歳で年齢が上がるごとに下がっている。1950年代60年代は全く逆で若い世代ほど反体制的で高齢になるほど自民党の支持率が高くなるのが普通であった。僕が子供の頃は高度成長期で家にも電化製品が少しずつ増えていった。会社員時代は所得的にはほとんど恩恵は受けなかったがバブルも経験している。3億のシャガールの絵が簡単に売れ、年号に因んではったりで出した1980ウン万円の福袋が売れたりで右肩上がりの経済を一応経験している。ところが今の若者は生まれてから日本が国際的に評価を落とす時期しか見ていない。
これからはもっと悪くなるかもしれない。それであれば予測の立たない変革よりも今のままじわじわ衰退していく方を選んでその中で勝ち馬に乗ろうとしても理解できる。相対的に優位に立てるのであれば国力が落ちることは致し方ない。すぐに日本が滅びる訳ではないし、どうせ自分が生きている間ではない。下流市民に分類された方は格差を埋めようとは考えずに自分がマウンティングできる対象を捜す。それが性差別でであったり、身障者であったり、嫌韓、嫌中のヘイトにつながったりする。オリンピックが進行中であるが日本選手が活躍すればするほど「日本凄い」の「物語」がウィルス以上に蔓延し現実を見誤るのである。過度の妄信は歴史修正主義に結びつく可能性が多々ある。マスコミも判りやすい縁故主義に絡めとられ政権に有利な情報を流し続ける。NHKはEテレまでオリンピック放送を流している。議員は自力で当選できない人物が選ばれ党の力で当選させイエスマンを増産する。内閣人事局主導で官僚たちを忠誠心の深さで格付けしイエスマンは厚遇する。ジャーナリストも大概は牙を抜かれおこぼれの裏情報を忠犬ハチ公のように大人しく待っている。次は学者たちへの踏み絵だった。オリンピックですっかり忘れられているが日本学術会議の問題も解決されていない。政権を批判する学者は公的支援を期待するなと言う事である。こうして飴と鞭で国民を亀甲縛りにして時々蝋をぽたりと垂らすのである。ヒェー・・・・だがこういう責め苦を喜ぶ国民が3割弱いると言う現実がある。世論操作は簡単になり政権運営のコストは格安になる。上意下達の株式会社方式だからである。株式会社の存在意義はただ一つ、利益の最大化。
今日7月26日は相模原障害者施設殺傷事件が起きた日でもある。優勢思想を持っていた犯人は衆議院議長宛の文章をしたためていた。分断されたものはどこかで上位者に認められたいと思うものである。この事件が安倍政権の施策と無関係とは思えない。

鬼に金棒

「鬼に金棒、小野に鉄棒」という標語が先の東京オリンピックで流行った。
オリンピックが始まってしまった。ブログを読んでいる方から「予想が外れてしまいましたね」とのコメントを頂いた。当たったとしても「どうだ」と言う気は毛頭ないが外れ方がひどすぎる。非常事態宣言下なのである。志ん生師匠に説明してもらう
「非常事態っていうのは、熊公いいか、非常に大変な事態ってことなんだぜ、普通の状態ではないってことだ。」
「ご隠居、普通じゃないってことは例えばどういう事なんですかい」
「例えばだな、この深川あたりが大火事になったとしたら大変だろう」
「そりゃ大変だ」
「お前か長屋が火事になっている時運動会をやるかい、」
「まず火を消さなきゃ」
こんな当たり前のことが通用しなくなっている。内村航平が難易度の低いところで鉄棒から落下した。呆然としていたらしい。こちらは勝利至上主義になった五輪が本来のスポーツと乖離していること自体に「手放し」では賛成しがたいのである。新聞もテレビもラジオもオリンピック一色である。オリンピック中継ははなから見る気はないがニュースでもオリンピック優先な報道は困るのである。例えば札幌は25日で北海道からの時短要請は終わる。まん延防止等特別措置を国に要請しているが国は難色を示している。頻繁に営業時間の変更をするのは本当に困るのである。その辺の情報が全く入ってこない。取りあえず柔道で金メダルを取ったではないか・・・取りあえず皆で応援しよう・・・と言う事か。東京では日曜としては過去最高の感染者数が出ている。いつもながら検査数が発表されないが実数の何倍もの数字になるはずである。医療が逼迫する重大局面なのにメダル獲得報道が優先なのである。
マスコミの論調の推移は見え見えである。「努力してきた選手には罪はないのだから良い環境でやらせてあげよう。」次は「始まったのだからごちゃごちゃ言わずに応援しよう」
感染が爆発するかもしれない。だが「みんなで楽しんだのだからだれの責任とかは言いっこないしで」
野党議員から「今からでも中止を検討していただけないか」との要求に対し丸川大臣は「もう選手が来ちゃっているから・・・」と答えた。これはやり手のお姉さんが「もう子供だっておなかの中にいるのよ。もう私たち結婚するしかないのよ」と言って脅すときの手口と一緒である。
運営面でも矛盾だらけである。濃厚接触者との対戦を事実上拒否できない仕組みになっていることが内閣官房の文書から明らかになった。選手から負の連鎖が始まる可能性が有る。
無観客の試合がほとんどの為ボランティアの人数が減り大量の弁当が余り廃棄されている。コロナ禍でこの弁当で助かる人が少なからずいるはずである。
巷にまん防、地味に貧乏。ペレスはマンボでショーターはリンボ
付記
東京オリンピックの日本選手の活躍を見て吉田少年は体操部に入った。転校した先には体操部がなかったので一年ちょっとの在籍だったが床では後ろ宙返りの伸身一回ひねり位はできるようになっていた。鉄棒は苦手であった。先輩が落下するのを見ると恐怖感が先に立って鉄棒から手を離すことができなかった。泳げないのに海で浮き輪を取られるような感覚であった。

オリンピック開会式代替案

開会式の総合プロデューサーがコルトレーンチェンジのように頻繁に変わるので追いきれなくてロストしてしまった。最初は野村萬斎だったろうか。アイヌ民族の伝統舞踏を入れる入れないでケチがついた。いつからか佐々木宏、小山田圭吾など人権感覚に疎い人間で中枢が固められていった。電通の息のかかった人間達である。面白くて金が儲かればいい、容姿をネタにしようが、身障者を差別しようが、ホロコーストを笑いにしょうが意に介さない企業風土である。
どうせならあの方に又マリオの格好で登場願って「コロナは完全にアンダーコントロールである」と言ってもらったらどうか。無観客なのに拍手が来たら「さくら」である。オリンピックは「桜を見る会」でもあったのだ。

持ち込み禁止

起きてラジオを付けると野球放送が聞こえてきた。高校野球の地方大会かと思っていたらオリンピックのソフトボールであった。日本の攻撃で誰かがホームランを打ちコールドゲームで日本が勝った。途中まで39歳の上野が投げていたようだ。試合は福島で行われていた。上野の頑張りは賞賛に値するし頭が下がる。だが日本がオーストラリアに勝ったことと福島の復興とは何の関係もない他人丼のようなものだ。
オリンピックはほとんど無観客で行われる。当然学校観戦は中止になるものと思っていたが必ずしもそうではないらしい。鹿嶋市では予定通り行われる。びっくりする実態が報道された。児童生徒の飲料水の持ち込みはペットボトル2本まで。二本にこだわるのは危険物の持ち込みの機会を減らすためと言う事である。小中高生のテロリストもいるかもしれないが普通は熱中症の心配をするのが先だ。スナックに酒を持ち込むわけではない。そして「ペットボトルはコカコーラ社が製造している飲料水をお願いします。他社製品を持参する場合はラベルを剥がして持ち込むようお願いします」との通達が出された。組織委員会の要求であった。表向きの存在意義とは別に裏では利権の絡み合うスポーツ興業であることがここでも露呈する。
バッハ会長が来日し一泊400万の部屋の泊まり迎賓館で接待を受け、営業目的で広島にも出かけた。会見で日本国民は辛抱強い・・・とかメダルを取ればすべて忘れるとか完全に馬鹿にし腐った発言をしている。抗議にホテルを訪れた市民を警察が遮った。警備担当課長が「ホテルオークラ正面で抗議させるのは国益に反する」と発言している。警察が国益を判断して行動出来るならとんでもない弾圧が可能になる。警察は法に従ってしか行動してはならない。札幌でも「安倍辞めろ」とヤジを飛ばした市民が道警に排除された件で今係争中である。問題の質は同じである。
Lazy がある北24条の地下鉄駅を地上に出たところに果物屋がある。日除けのビニールの屋根が取り払われていた。24条通りはマラソンコースである。景観が悪いと言う事で強制撤去されたと言う事だ。

失言王

失言王
西村経済再生担当大臣が金融機関を使って飲食店を締め付けようとした。だがあまりの評判の悪さに撤回せざるを得なくなった。菅総理は承知していないと関与を否定し麻生財務大臣は「金融庁はその程度の組織だと思っているの・・ほっとけ」と無視した。西村大臣の思い付きの案という程を取り収束を図っているが記者会見配布文書にはその旨明記されており内閣官房主導で発案されたことは明確である。
「失言王」とはフランスのル・モンド紙が麻生財務大臣につけたあだ名である。「憲法改正はナチスに学べ」などといっていた時期につけられた。だがこのあだ名は的を得ていない。確信犯だからである。単に口が滑ったわけではない。今回の酒販売業者の件でも記者から「長年の信用関係に関することでは・・」との質問に次のように応対した。
「商売したことある、あんた?自分で商売したことある家?ただのサラリーマンしかやったことない?」完全に人を馬鹿にした態度である。「その程度の能力か」「頼りない顔」など今回に限ったことではないが目的ははっきりしている。「どうだ。すごいだろう。誰も俺を止められないんだぜ。ワイルドだろう」と自己顕示の為に意図的にやっているのである。反論することも議論を掘り下げることもできないジャーナリストに徹底的に屈辱感を与えるのである。フリーの江川紹子、東京新聞の望月依塑子など骨のあるジャーナリストも残っているが人間ポチになり下がった下僕的態度を問題にしないと状況を悪化するだけである。ふざけた発言をしたら記者全員で会見をボイコットしてはどうか。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という標語があるではないか。
付記
ほとんど自宅と店の往復の生活であるが明らかに人出は多くなっている。オリンピックの例外続きで緊急事態なのかマンボウなのか単なる時短なのか守るべき指針が分からなくなっている。時短やら外出自粛やら手洗い励行で「安全安心」積立預金をコツコツしていたのにオリンピックの為に拠出させられているような感覚だ。

Slow boat to China

バッハ会長が小池都知事、IOC組織委員会との記者会見の席上で「我々は同じ船に乗っている。中国人と私たちは・・・・」と言って日本国民は・・・と訂正した。バッハ会長にとって日本国民はその程度の重みしかもっていないと思ったほうが良い。船に乗ってしまえば行先など関係ないようだ。ソニーロリンズの初期の名演もあるし村上春樹の短編にも「中国行きのスロウ・ボート」と言うのがある。どちらを選んでも「ぼったくられた感」はない。東京オリンピック反対のネット署名に参加した。北大院生が中心になって呼び掛けている札幌のマラソン他の中止にも署名した。この署名は今日札幌市に渡っているはずである。すると事務局からバッハ会長の来道反対にも署名してほしいとの依頼があった。この会長が動けば大名行列並みである。感染のリスクが高まるだけではなく莫大な費用が掛かる。一泊300万の部屋に4万で泊まる方である。その差額はまわりまわって我々の税金から支払われる。「風が吹けば桶屋が損する」と言う事になる。バッハ会長昨日の会見で「感染状況が改善されば有観客に戻すことも視野に入れたはどうかと」と発言している。感染者数が毎日1300人以上で第五波の到来かと危惧している時にである。札幌もまん延防止等特別措置は解除されたが9時までの時短要請は残っている。期限までまだ10日を残すが秋元市長はその後もまん延防止等特別措置あるいはもっと強い措置が必要との見解を発表している。最悪緊急事態宣言に戻る可能性が有る。個人的には米木康志5daysが通常の形ではできないと腹を括っている。大体の事は経験している。支援者の顔を思い浮かべながら諦めずにやり続けるだけである。
東京オリンピックにどう対処するかは人それぞれである。僕は国民の健康をもないがしろにした五輪には開幕直前であろうが中止を主張し続ける。どうせ無駄だろう・・・と思ったら負けである。来日選手も歓迎しないし、日本選手の成績にも一喜一憂する気もない。念を押すがスポーツが嫌いなわけではない
反応すると菅総理の「やっぱりオリンピック好きなんだろう・・・」と利用されるのが目に見えているからである。
キャバクラに連れて行かれる。両脇に若くてきれいでナイスバディの女の子が座る。膝頭の体温が微かに伝わる。人差し指で太もも撫ぜられながら「私、火野正平みたいな人大好きなの」などと言われようものなら舞い上がってしまう。そこに菅総理似の支配人が出てきて「お客さんも好きですね・・」と言って高価な請求書を置いていく。そんな罠にはまらないよう僕はキャバクラにはいかない。
「いざ、キャバクラ」と言う格言は僕の辞書にはない。

優先順位

吉本の芸人たちがワクチン集団接種を受けたと聞いた。半面五輪関係のバス運転手などにはまだその機会はない。集団免疫獲得まで大勢打つことが大事だから公平さとかは気にするなと言う議論はある。実際接種を受けた人間には利益があるのだから公平さは顧慮されるべきである。ワクチンが潤沢にあって打ち手も確保できているのであれば多少の順番など気にしないがなぜ吉本なのだ。ホンコンやら松本がワイドショーに頻繁に出演し政権の施政を持ち上げる発言を何度か聞いたことが有る。教育プログラムにも吉本の芸人が登用され400億くらいの補助金が出る様だ。ここまで差別の手は伸びている。
4回目の緊急事態宣言が昨日出された。「もらい煙草も二本まで」「3年目の浮気など大目に見ろよ♫」4回目の緊急事態宣言がどこまで許されるか。効かない時危惧していることが有る。
「緊急事態宣言じや効果がない。強制力のある施策を進めるために緊急事態条項を憲法に設けないといけない」と言う輩が出てくることである。鉄砲じゃ熊退治できないからバズーカ砲よこせと言うに等しい。
新聞には毎日のように日本選手の紹介で埋め尽くされている。そこには五輪には反対でも選手は攻めないでくださいというメッセージが読み取れる。五輪反対の言質が即選手への個人攻撃と見なされてしまう。前田敦子が「私を嫌いになってもAKBを嫌いにならないでください」と言ったセリフを思い出した。

「まだ鳴る鐘を鳴らせ」曲レナード・コーエン

時短で暇なので警鐘を鳴らし続ける。政権中枢の人間によって日本語が破壊されてきた。コミュニケイトしようと言う意思が感じられない。Lazy でも頻繁にあるが酔っ払い同士の「俺の話を聞け」モードよりたちが悪い。そこに五輪によって汚染された言葉がまん延しだした。だがまん延防止等特別措置法には抵触しないらしい。感動、絆、レガシー、人類、証、おもてなし、ひとつになる、団結、・・・・・これらの言葉が出てきたら要注意である。儲け話には注意しろ・・・・。綺麗なバラには棘がある。
次は英文和訳の問題である。“I agree that I participate in the Games at my own risk and own responsibility, including any impact on my participation to and/or performance in the Games, serious bodily injury or even death,
共通一次試験ではないので意訳するが死んでもIOCを訴えることはしません。自己責任で参加しますという誓約書である。
選手の中には勝つためにやってくる人間が少なからずいる。競泳男子の米代表のマイケル・アンドリューもその一人だ。ワクチンは打っていないしこれからも打つつもりはないという。理由は接種すると数日は休まなくてはならないからだ。十分理解できる。僕も3日前に接種したが左肩がまだ重い。オリンピック選手でなくてよかったと思う。この体調では万世一系の日本国民として一つになり、菅総理から頂いた安全安心の証としての人類の絆を証明する機会を無駄にしてしまう。ご先祖様に申し訳ない。
マイケル・アンドリューには「ワクチンを接種するという圧力には屈せず、周囲とは同調しないで」と言う励ましと「まるで、英雄扱い、ワクチン接種は同調圧力に屈することではない」と言う非難が飛び交っている。マイケル・アンドリューの自由は尊重されるべきものと思う。だがその自由意志の総体が日本国民の生命を危うくする可能性について組織委会も政府も言及しない。それが不信感を呼ぶ。
バッハ会長によれば85%はワクチン接種済みということである。と言う事は15%の未接種である人間が日本国内を歩き回ると言う事でもある。組織委員会と政府はその行動を管理できると言い放っているが完璧に眉唾物である。五輪関係者と一般人は接触しないようにすると言っているが土台無理な話である。選手村からの外出は禁止であったはずだがコンビニへの外出は15分以内なら許可されている。選手村近くのオープンカフェには関係者と思われる外国人がノーマスクで飲食をしながら歓談している。関係者の宿泊施設になっている日本ホテルでは関係者と一般客のエレベーターは分けられているが着いた先の通路は共通であったりする。在住の外国人の人が普通の生活行動をしていても五輪関係者が歩き回っていると白い目で見られると言うツイッター記事をよく目にする。
警鐘は鳴らし続けなければならない。
「あの鐘を鳴らすのはあな~た♫」あれ、レナード・コーエンの曲ではないなあ・・・