jazz紳士交遊録vol10

米木康志
とりあえずその一としておく。40年近くの付き合いだ。一回では終わりそうにない。老舗のライブハウスが閉めることになった。店を引き継いでくれないかと言われたが当時はそれだけの根性は持ち合わせておらずお断りした。そこのマスターは店でやることになっていたライブだけでも代わりにやってくれないかという。それくらいは何とかなると思ったので引き受けた。それが北海道バンド。メンバーは元岡一英、高橋知己、小山彰太そして米木がいた。メンバーがすごい割にはバンド名がダサイ治だ。全員北海道出身ということは分かるが田舎のバンドみたいで「北海道」という漢字は使わないなどポスター、チラシを作る時一工夫した記憶がある。道新でも全員北海道出身ということで比較的大きく記事にしてくれた。僕が最初に主催した東京ミュージシャンということになった。当時ライブを主宰するということはパッケージで来る企画をやるかどうかう問題でこちらから組み合わせを提案すなどおこがましい事と思っていた。米木と知己を得てから恐る恐る札幌のミュージシャンとやってもらうお願いをした。それがギターの岡本広である。例のjazz人名辞典で住所を調べ丁寧な手紙を書き岡本の音源をカセットテープで送った。返事はすぐ来た。粘り強く交渉しようと思っていたが・・・「いいよ」・・・あれ意外に簡単だ。初めてのデートでホテルまで行けちゃった。よく郵便物を送っていたので今でも住所を覚えている。国分寺市南町xxxxxxx702だ。米木も会社員社員時代の僕の電話番号を覚えているという。213-xxxxだ。そのやり取りが今の東京、札幌の交流の始まりとなる。