オリンピッグ問題

演出に豚の格好をした渡辺直美を使おうとしたディレクターが叩かれて辞任した。世界に発信するレベルのアイデイアではない。この人物は先のオリンピックの閉会式で安倍総理にマリオの格好をさせて日本の総理のレベルの低さを世界に知らしめた人物でもある。御多分に漏れず電通関係である。
森喜朗前委員長同様女性蔑視の観点から論評されている。女性に豚の格好をさせるとはけしからん・・・と。ここで一度?マークがつくのである。豚だからダメなのか・・・。そうではない。容姿によって差別してはだめだと言う事である。女性ピアニストのTに意見を聞いてみた。豚はやはりいやだと言う。「鹿は」「微妙」「鶴は」「それも微妙」なんだったら許せるかと聞いた。「猫」・・ここに落ち着く。猫がだめだったら劇団四季は商売あがったりになる。僕は豚は可愛い動物という認識なので文脈を無視して女性蔑視と言われるとピンとこない。どちらが菖蒲か燕子花・・みたいな日本文学の根底に通ずる表現もダメなのかと疑問は次々に沸く。実際学生の頃「白豚ちゃん」と呼んでいた女性がいたが彼女から訴えられることはなかった。イスラム圏では豚は不浄な動物と言う事になっている。その動物に女性を例えるとは論外であるという主旨の記事が中東で掲載された。プロデュースと言う仕事はその程度の文化の違いが判る見識を持つ人間に任せなくてはならないという事である。
渡辺直美のコメントが新聞に載っていた。非常にしっかりした内容で好感度上がる事確実である。だがこの種のコメントを聞くと喉に小骨が刺さったような感覚にとらわれる。あの体形があってのビヨンセの物まねではないのか。昔の渡辺直美なら、と言うより所属事務所はこの仕事に飛びついたはずである。豚の格好でオリンピック・・・これで一生食べていけるお胸をなでおろすはずである。「狩人」が「あづさ二号」一曲で食べていけるようなものである。たとえが分からない・・・・。ジャズフアン為のたとえである。アーマッド・ジャマルが「ポインシアナ」一曲で食べていけるようあののである。分からない・・・。ビートルズが「yesterday」一曲で・・・・もういい。あそ・・
昔グラビア誌に惜しげも無く裸体をさらけ出していたタレントがひょんなことから人気が出て演技派女優に舵を切る時現れる光景と同じ位相である。 ちょっと前『人間見ためがすべて』(タイトルうろ覚え)と言う新書が結構売れていた。容姿端麗、有名大卒を採用しておけば空くじなしという企業の思惑だってある。容姿が全く関係ない女性と言うのは世界でただ一人母親だけである。
大事なことが最後になった。「えっ、まだオリンピックやる気なんだ」と言う事である。オリンピックなんかやったって「コロナに打ち勝った証」なんかにはならない。「分別ある政権の証」としてオリンピックは中止してほしいい。4兆円の経済効果など利権がある者のへの中元話である。