五輪神道

東京五輪が宗教行事化していると言う視点は卓見である。諸外国が「オリンピックの火」と呼ぶ大会演出の小道具でしかない火を「聖火」と呼んで有難がる。まさに神事である。菅首相は「コロナに打ち勝った証としての五輪」と言う詔を下知して庶民の安寧を願うふりをしている。それは中世に疫病、飢饉、災害が起きた時の為政者の神頼みⅡⅤフレーズである。勝利条件が全く提示されない。東京五輪中止と言う合理的判断が「コロナに負けた証」と言う間違ったメッセージになってしまう。精神論ではコロナにも鬼畜米英にも勝てない。
東京五輪の国内スポンサー全68社がコロナ禍の中で契約延長に基本合意したという。日本の大企業はそれだけ政府に依存している。金融緩和による高株価や企業優遇税制に支えられているのだ。逆らえるわけがない。
森喜朗委員長もバッハ会長もオリンピッククラスのイベントを開催したときの感染リスクには一言も触れたことがない。
五輪はもはや純粋なアスリートたちの祭典ではない。濡れ手に粟の人間が必ずいる。
企業栄えて国滅ぶ。
「怒り心頭」

参考文献 オリンピックの事を考えるために
「二つのオリンピック」ロバート・ホワイティング著
「黒い輪」ヴィヴ・シムソン著
「北緯43度の雪」河野啓
札幌オリンピックに参加した南国スキーヤーの感動秘話。札幌在住の方には親近感を持って読めます。