嫌いな言葉

中島義道と言う偏屈な哲学者が書いている「私の嫌いな10の言葉」と言う本がある。この中に僕の嫌いな言葉は入っていない。この先生は「いつから自分は自分になったのだろうか」と言うようなことを何十年も考えている人である。一般的な人からは「めんどくさい」と思われる人である。僕が嫌いな言葉はその「面倒くさい」である。
3.1415926・・・・・例えば円周率は3でいいと教えた時期がある。円周率の本質的意味合いがそがれてしまう。少なくとも3.・・・・にしなくてはいけない。面倒くさくとも。人間だれしも得意分野の話であっても分からない領域がある。意見の違いを認め合いつつ違う視点を探るという行為は面倒くさい行為である。特に芸術家は音を出せばわかる、筆のタッチで分かる、アスリートであれば走れば判ると感性の分野あるいは肉体的分野に逃げ込んで話を終わらせようとする。はっきり言って駄々っ子である。そういう時それまでの時間が無駄に感じ徒労感が募るのである。
ライブハウスとはいえ演奏がないときは一飲み屋である。誰もが弁士の資格がある。時々俺(私)の意見を認めないのか・・・・と絡まれる。発言の機会は保証する。だが同意するかどうかはこちらの問題だ。
異物であっても排除はしない。民主主義の鉄則である。民主主義は面倒くさいものである。
多数決は民主主義の本質はついていない。