日本映画探訪記vol12 肉弾

岡本喜八の戦争映画である。1968年に撮られているがその前年岡本喜八は「日本の一番長い日」を取っている。「日本の一番長い日」には私人は出てこない。歴史上の知られた公人の終戦の話である。三船敏郎扮する阿南陸軍大将が壮絶な割腹シーンを演じている。その映画を撮り終えた時岡本監督はその映画には欠落している部分を取りたくなったという。「肉弾」には庶民の終戦が描かれている。この映画の主人公「あいつ」は岡本喜八そのものである。本土決戦を控え対戦車用の特攻作戦が肉弾で岡本監督もその訓練を受けていた。その作戦を完遂するためには私人として祖国以外の死ぬ口実が必要であった。それを娼館で因数分解を解きながら店番をしていた可憐な女学生に求める。そのヒロインも空襲で蝋人形のように死んでしまったと報告を受ける。凄惨な死の場面は一切出てこない。死はただの死であり勇壮的にも悲壮的にも描かれない。従来庶民の死と言うものはそういうものである。今も変わってはいないはずである。死ねば葬式の時少しだけ褒めてもらえるだけである。「あいつ」が訓練を受ける中、会う人間は戦争で何かを失った人間である。笠智衆演じる古本屋に買い物に行く。両手がない。「あいつ」は小用足すのを手伝う事になる。シリアスな時ほど岡本監督は喜劇的に表現する。古本屋の親父は言う「兵隊さん、死んじゃだめだよ。生きていりゃ小便だって楽しいよ。あははは・・」笠智衆は寅さんの時のご隠居のように淡々と言うのである。「あいつ」は配置転換になり魚雷につながれたドラム缶の中で終戦を迎えることになる。運よく民間船に発見され曳航されるが途中でロープが切れまた大海を彷徨う事になる。ラストシーンは何十年か後の海水浴場。白骨化した「あいつ」がドラム缶で流れ着く。その死があまりに馬鹿馬鹿しく笑ってしまう。戦争による死と言うものはそういうものであり英霊はいない。岡本監督は「太平洋戦争とはなんであったか」と聞かれたら「多くの同時代の若者が声もなく死んでいった日々としか答えられない」という。
国家の愚策で死ぬのは戦争も現在の「あれ」も同じではないのか
付記
24条界隈にも映画館が3軒あった。45年ほど前の事である。一軒はピンク映画専門店、一軒は二流映画の三番館、一軒は名画座であった。名画座は会員制度もあり年会費2万(だったと思うが)払うと見放題でリクエストも可能だった。休みの日はそことjazz喫茶の往復で日が暮れた。