日本映画探訪記vol14 動乱

2・26事件を題材にした戦争映画であるが恋愛映画でもある。当時の東映のお家事情を反映した内容になっておりその後のこの手の映画の方向性を示した作品になっている。主演は高倉健と吉永小百合。これでどうだ・・・と言うゴールデンコンビである。僕は40年ほど前、封切で見ている。細部はすっかり忘れたが高倉健演じる青年将校の妻になった吉永小百合が「これで私を買ってください」と言って金を渡しながら泣き崩れるシーンだけは鮮明に覚えている。戦争映画は男臭さが売りで女性が主役になることは少ない。内地で家庭を守る主婦だったり、「ひめゆりの塔」の従軍看護士だったり、「女衒」の従軍慰安婦だったりする。要は戦争映画は女性に人気がないと言う事である。女性に来てもらうにはどうすればよいかとプロデュサーの岡田裕介は考えた。そして戦争映画に大胆に恋愛を持ち込むと言う手法を編み出した。岡田は最近亡くなったが吉永小百合の最大の理解者で吉永小百合の希望は全部飲むことで有名だった。岡田は高倉健と吉永小百合に断られたら企画そのものを諦める不退転の気持ちで臨んだ。この二人でなければ観客を納得させられないと考えていた。だがその事を強調するあまり史実がかなり歪められている。クーデターの首謀者たちは貧しい農民出身で腐敗した政財界と癒着する軍上層部に叛旗を翻す美談として語られている。批評家によっては最大の愚作と扱き下ろす。恋愛映画なのだからそんなに目くじら立てなくても・・・と言う考えが東映上層部の方針である。風景を変えそこに主役の二人をはめ込んでいく。酷寒の大地で晒し者になった吉永小百合を抱きかかえる健さん、きらきら光る水面の海岸を歩く二人、ラストシーンは一人歩く吉永小百合の歩みに合わせて泣け・・この野郎とばかりに小椋佳のバラードがかぶさってくる。
もう2・26だろうが5・15だろうが3・14だろうが関係なくなってくる。だが映画はそれで良いのであろうか・・・・
付記
極楽jordu日記その3
今日の母親関係の作業は会葬御礼の発送だけで勘弁してもらった。僕の関係でいただいた方には儀礼的なので失礼させていただいた。中身は海苔である。乗りの良いライブを企画することで其れに変えさせていただきたい。後は自分の給付金申請と松島のCDの発送に時間を回した。