日本映画探訪記vol17 キャバレー

ライザ・ミネリ主演の方ではなく野村宏伸主演の角川映画の方である。僕はどんな映画でも途中で出ることはないし、ライブも最後まで聴く。ご飯も残さず食べる。だがこの映画を見に行った時には併映の映画を見ないで出てきてしまった。併映作品は「彼のオートバイ、彼女の島」で大林宣彦がメガホンを取っていることを最近想い出した。こちらはいい作品だ。もったいないことをした。何が気に入らなかったのかはっきりと思い出せないので見直してみた。なぜ見に行ったかは覚えている。ジャズを志す若者の生きざまが主題で尚且つ「レフトアローン」がメインテーマに使われているからだった。監督は角川春樹が自分でやっている。どうやらみんなに断られたかららしい。プローデューサーは黙って財布だけ出せばいいのである。見よう見まねでメガホンを握ってもフィルムの無駄、プラスチック塵の増加、しいては海洋汚染につながる。ニカ夫人だって調子こいて「ニカズドリーム」を録音したりはしないはずである。大人と言うものはそういう振る舞いをするものだ。まず「レフトアローン」をアルトで吹いた時の指使いもタイミングも出鱈目である。野村宏伸が悪いわけではない。監督がジャズをその程度に考えているからである。タイロン・パワーは「愛情物語」のピアニスト役をこなす為にすべての仕事を断り一年ピアノの練習に励んだ。その音をそのまま映画に使えるレベルだったと言う。考えていることがその程度だからすべてにリアリティーがない。雰囲気は50年代ハードボイルド映画である。冒頭鹿賀丈史演じるヤクザが掟を破った弟分を始末するシーン。ジュークボックスから「レフトアローン」が流れている。「レフトアローン」のシングル盤はありません。大体ジュークボックスは「ダイアナ」とか「この胸のときめきを」をかける道具です。鹿賀丈史の元情婦でジャズバーのママ役を倍賞美津子が演じていて夭折した天才アルト奏者の妹と言う設定である。違いの分かる女なのだ。キャバレー最後の日バンドマンが集まって最後の演奏をする。ふらりと立ち寄った倍賞美津子に野村宏伸は聞くのである
「今の演奏はどうでしたか」「
「もう、分かったはずよ」みたいなセリフを残して立ち去るのである。かっこ良い!となるはずであるが最初に吹いた「レフトアローン」と最後に吹いた「レフトアローン」が遜色ない出来であることに監督は気づいていない。
倍賞美津子のバーで野村が兄のサックス奏者のLPをリクエストする。野村は「全然、僕とは違うレベルだ」と感心し自分に落胆する。だが奏者は野村が「レフトアローン」を吹いている時と同じ大友義男に聴こえる。ここでも監督は気に留めていない。一事が万事それであるからカットの集合体である映画の出来は押して図るべしである。
峰さんが来た時に聞いたことが有る。峰さんはマル・ウォルドロンと「レフトアローン」をレコーディングしている。この吹替の話は来なかったのかと・・・・「来たんだけど、断って大友君を紹介したんだよ」
人生は無限の時間の集合体だと思っている人にお勧めの映画である。
付記
トピック欄もご覧の上ご支援よろしくお願いします。 LUNA「レフトアローン」やらないだろうなぁ・・・・