昭和歌謡

一応jazzのライブバーのマスターである。ライブスケジュールにplayz昭和歌謡と謳ったところ思わぬ反響があった。とうとう呆けて来たかではなくて面白そうな企画と言う反応であった。勿論僕の企画である。だがこれは古舘賢治の異才なくしては成立しない企画であった。jazzのスタンダードを歌うとちょっと中性的なチェット・ベーカー風でもあるのだが、日本語の歌を歌うと異次元の世界に連れていかれるとある時気が付いた。これは一回のライブに一曲ではなくまとめてやったら面白いだろうなと思った。古舘にお願いすると快諾してくれた「。弦哲也に嵌っていたことがあるんですよ」という事だった。バーデンパウエルのギターも難なくこなす古舘である。そのギターで古賀メロデーも聞いてみたいと思った。それが実現した。「影を慕いて」からチューリップ、サザンオールスターズ、近藤真彦の「ギンギラギンにさり気なく」まで古舘ワールドがさく裂した。白眉は鳥羽一郎の「北の漁場」であった。こぶしが回った時は思わず「よ!、賢治」と叫んでしまった。おひねりをしょうと思ったが間に合わなかった。
jazzに関わって半世紀。演歌に負けてしまった。
なぜ昭和歌謡に心惹かれるのだろうか。テレビが家に来たのは東京オリンピックの時だ。それまではラジオしかない。歌番組と演芸がよく流れていた。歌がほとんど唯一の娯楽であり身近にあった時代た。jazzの曲は数曲しか弾けないのに春日八郎、三橋美智也、藤山一郎ら昔の大歌手の十八番が口をついてくる。
会社員を20年ほどやっていたので上司に連れられカラオケスナックに行くことがあった。必ず何か歌えと言われる。ビートルズの曲も歌えないことないが、会社の宴席ではなんとなく英語の詩はご法度である。かと言って「お富さん」とか「赤いランプの終列車」ではスナックのお姉さん達に嫌われる。そういうことで「小樽の人よ」「よせばいいのに」の様なムード歌謡を歌っていた。lazyのレコード棚を整理していたら細川たかしの「北酒場」のシングル盤が出てきた。何となく覚えている。カラオケのレパートリーを増やすために買ったのだ。多分コルトレーンの「アセンション」に飽きた時にかけて練習してはずである。
今回の昭和歌謡特集にはもう一つ目的があった。
年老いた母親に聴かせてあげたいと思ったからだ。実家に帰ってテレビを見ていると「最近知っている歌がかかる番組がない」とボヤかれる。NHKに投書するよりも自分の店でやった方が早い。
という事でプチ親孝行ができたと思っている。

追伸
LUNAにロックを歌ってもらった帰り、「何かまた新しい企画思いついたら、いつでも言ってください」と言われたことを思い出した。LUNAの歌で「テレサ・テン」や「ちあきなおみ」をじっくり聴いてみたいと思うのは僕だけでしょうか