論語

読んでいて心がたおやかになる本がある。それが「論語」だ。巧言令色鮮し仁・・・・高校の漢文で習い何となく意味も分かっていると誤解しているあの論語だ。高橋源一郎訳「一億三千万人のための『論語』教室が面白い。
jazzフアンの為に一説だけ紹介したい。
子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽になる
訳はこうだ。
「学問というものは意外かもしれないけど、まず、「文学」を読む、というか知ることから始まるのです。言葉、と言うものを知らなければ、何も理解することはできません。そして「文学」以上に、言葉について知ることができるものはないのです。
(僕の独白・・・そうそう、ヴィトゲンシュタインの哲学論考も「世界は言葉の総体である」ではじまる)
その段階が過ぎると、それから、人間の在り方を知る「礼」について習うことになります。『礼』というものを理解できて初めて、とりあえず学問が身についたと言っていいでしょう。でもそれだけではダメなのです。その『先』に音楽を学ぶと言う事があります
そしてそれが一番難しい。ことばがわかること、人間の在り方がわかることそんなものとは違った『わかり方』にたどり着かなければ音楽はわかりません。そして。音楽というものを理解したとき、ようやく、私たちは『人間』になることができるのです。」
短い一説にこれだけ深いことが込められている。孔子先生すごい!
そしてJazzミュージシャンも凄いのだろう。音楽を理解して実践しているのだから・・・
ただ何事にも例外はあるはずだ。いやかなり例外がある。いやいやいや例外だらけだ。
ひょっとして孔子先生間違っているのでは・・・・
いやいや、そんなことはないはずだ。そうだ僕はまだ「礼」と言う事がわかっていない。