震災の記憶

25年前の1月17日。阪神淡路大震災が起きた。飴細工のように曲がりくねったJRの線路、しがみつく様に自動車がぶら下がっている高速道路。焼け野原のようになった神戸市街地。映像がスライドショウのように甦ってくる。この頃僕自身人生最大の転機を迎えていた。震災の2日前僕は時期外れの人事異動で東京経理財務本部に転勤を命ぜられた。会社員だ。転勤など当たり前。覚悟の上だ。ところがこの頃少し状況が違っていた。僕は日常業務をこなしながらある犯罪がらみの案件を調査していた。あまりにも仕事が中途半端なので上司に「なんでこの時期で私なのですか」と食い下がった。ここからは一私企業の個人的なやり取りなので省略するが納得できないので辞表を出した。驚いたのは上司のほうだ「えっ、辞める。3日休みをやる。落ち着いて考え直してくれ」と言われた。家にいても「上司を立てろ」とか「辞めるのではいつでもできる」とかいろいろな人から電話がかかってくる。そうこうしているうちに震災が起きた。神戸には稼ぎ頭の店舗がありここがダメージ受けるとグループ全体の営業成績がより悪化するのは目に見えている。僕は辞表を取り下げるつもりでいたがこんな震災のあわただしい時期に転勤などしている暇があるのだろうかと思って「いつ立てばいいですか」と尋ねた。「明後日」
心は殺伐としていた。神戸の瓦礫と化した街並みとオーバーラップして他人を思いやる気持ちはほとんど湧き上がってこなかった。日に日に増える死者の数。6434人まで増え続ける。だがそれは抽象的な数字でしかなかった。転勤先は二重の意味で激務であった。この半年後戦後何番目かの多額不良債権を抱えて会社更生法の適用を受ける事になる。その青写真を作る部署でいわば大本営のような所であった。病人続出、内緒にしていたらしいが死人も出ていた。心のバランスを崩さぬうちにやめようと思った。今度の辞表は撤回しなかった。
あの時自分は冷たい奴だなあ・・・と思った。その後大きな震災が何度かあった。その度にささやかであるが出来ることをして罪滅ぼしをしている。