13年目の記憶

2011年3月11日。東日本大震災が起きた。押し寄せてくる津波に流される車、陸に押し上げられた船舶、原発の上空から水を撒くヘリコプター、住民の絶望の声と怒号。スライドショーの様に甦ってくる。何が問題で今後の課題は何なのか・・・時間と共に風化していく。880トンのデブリを取り出す目途は全く立たず。その汚染水は処理水と創氏改名させられ海に流されていく。まだ29000人の避難民が異郷で生活しており福島県内には立ち入り禁止区域今も存在する。政府の非難計画書など絵に描いた餅、使えるⅡⅤフレーズ集の様に役に立たない。住民2000人を引き連れて埼玉まで非難した前双葉町町長、井戸川克隆氏は当時ヒーローともてはやされたが復興が進むとそれを阻害する人物としてバッシングを受けている。井戸川氏は原発事故で起きたことを微細に記録しそれを基に一人で裁判を戦っている。いくつかの集団訴訟が結審する中でまだ一審の判決も出ていない。偶然に偶然が重なり放射能被害があの程度で済んだ。そして能登半島地震。政府は油漏れ事故を矮小化して発表しているが原発が休止していたことが不幸中の幸いである。日本は国として八百万の神々に守られているからであろうか悪運が強い。だが運に頼る行政は信頼に足るものなのか。そんな中、原発稼働期間の延長を決めただけに止まらず新設まで考えている。再処理施設の目途は未だ立っていない。トイレのないマンションをまだ建設しようと目論んでいる。どれだけの利権が絡んでどれだけの企業献金がされてどれだけの裏金が作られているのか。「三年目の浮気」は大目に見るが♪♪♪♪13年目の浮気は見逃すわけにはいかない。