Jazz紳士交遊録vol25 井上淑彦

8月5日の正午のNHKニュースで統一教会と自民党の関係が初めて流れた。最後の項目で其れも議員の発言をそのまま流すだけの2分ほどの時間で何のコメントもない。元NHK会長籾井会長が嘗て「政府が白と言ったものを頃と言うわけにはいかない」と発言して国民から受信料を徴収しながら政府広報になり下がった伝統を引き継いでいる。NHKしか見てない人がいるとしたら福田政調会長の発言「何をそんなに騒いでいるのか分からない」を真に受けるかもしれない。このセリフを聴いた時沢尻エリカの名セリフ「べつに・・・」を思い出した。
おいおい、NHKと井上何の関係があるのだと言われるかもしれない。僕はNHKのニュースを聞くと井上を想い出すパブロフの犬に近い。その種明かしは最後にする。
井上は2015年膵臓がんで既に鬼籍に入っている。僕が引き継ぐことになるGROOVYのマスターが森山威夫さんのグループをよく呼んでいたので若い時から知っている。最初に来てもらったのはベースのチンさんのグループで40年ほど前になる。そのグループにはその後も付き合う事になる秋山一将、セシル・モンロー、内田浩誠がいた。セシルと内田も鬼籍に入っている。(セシルが鬼籍に入ると書くと宗教上の違和感を感ずるが置いておく)
井上はキャノンボールやロリンズに影響を受けたとしているが知り合った時はクールに燃える領域に入っていると感じた。ボブ・ミンツァーについて熱く語っていたのを想い出す。
井上と面識ができたので藤原幹典と二管で来てもらえる企画を考えた。その時点ではもう活動していなかった金井英人さんのquintetを再結成してもらう事であった。井上の尽力で一日だけの札幌公演が実現した。金井さんは厳しい人と聞いていたが僕に対しては温厚な好々爺的にふるまってくれた。リクエストがあるかと聞かれた。僕は基本的にリクエストをしない。金井さんは「アランフェスなんかやったほういいですか」と聞いてくれた。スリー・ブラインド・マイスレーベルの名盤に入っている。せっかくなのでお願いした。後は十八番のミンガスの曲が多かった。それが縁で井上には新しいグループを組んだら必ず札幌に来てもらう様になった。そして札幌のメンバーともセッションをやってもらう事になる。その中でいくつか事件があった。チュニジアの夜をやっている時である。後テーマに入る前のダーバダ・ダーバダダバダダと言うリフを繰り返し盛り上げている時ドラムのT山がテーマに入る前に曲を終わらせてしまった。井上はMCで「終わってしまいました」と言っている。T山は全く気が付かず次の曲の譜面を用意している。次の瞬間冷たい視線に気が付き事の重大性に気が付き冷や汗が流れたという。同じ日ギターのO本さんがソロを弾いている時井上がO本さんに何度か話しかけてO本さんもそれに答えている。構成確認の話ではないのは何となく分かる。打上で聞いてみた。
「ギター高い・・・」
「そんなに、高くないです」
「ギター高いよ」
「安物です」
O本さんはソロ中に何で井上がギターの値段を聞くのかと思ったという。ピッチの話である。それに気が付いた時O本さんも冷や汗が流れたという。その二本立ての話を聞いた時僕も冷や汗を感じた。井上は音楽的にもロリンズの影響を受けたが時々雲隠れをするところもロリンズに似ている。その原因はロリンズとは違うが音楽的ではないことも含まれると知ったのは後の事である。佐山雅弘のバンドで一週間道内のツァーに付いて行ったこともある。池田篤、米木康志、村上ポンタ、そして井上である。引率者としては大変だった。1週間一緒に居ると人間性も見えてくる。井上のかっこ悪い所も見てしまった。池田が学生の頃井上にサックスを習っていた。一切指導料は受け取らなかったという。米木も二人とも全く無名の時アケタの店でセッションを重ねていたらしい。井上のグループで米木にも何度か来てもらった。アントワー・ルーニーをやる予定だった時がある。折しも9・11事件と重なりアントワーが出国できなくなった。米木と相談して僕が希望する3人のサックスプレイャーが空いている場合だけやることにした。幸い井上だけ空いていた。井上もベースが米木ならやると言ってくれた。二人の信頼感を感じた時だ。井上が何度目かの隠遁生活に入っている時グルービーの周年記念があった。僕は井上の事は念頭になかったが米木が僕が声かければ出てくるかもしれないよ・・・といった。「出てくれば俺一緒にやってもいいよ」と言ってくれた。だがその時は連絡が取れなかった。この話にはコーダが付く。米木は付け加えた。「井上と演奏するのはいいけど、打ち上げは出来るだけ短くして」
何でと聞いた。「あいつの話は型どおりでNHKのニュースと一緒でつまらないんだよ」
確かに洒落は全く通じない。打上の乾杯の時紙コップを出すと不機嫌になると米木から聞いた。試してみた。他の面々にはグラスを出し井上だけ紙コップにしてみた。「何これー」と定番のNHK的な反応をした。米木は「だろう・・・」と言う顔をして笑っていた。
これがNHKのニュースを見ると井上を想い出す理由である。
付記
僕は横浜の街に憧れがあった。矢作俊彦の小説に出てくる街並みをくまなく歩いてみたいと思っていた。最初の勤務地は千葉であったが休みの日横浜まで出かけ石川町で国電を降り関内、桜木町、元町を歩き回っていた。元町のアーケード街狭い階段を上ってみた。登りきったところを右に行くと横浜高校があった。まだ松坂大輔はいない。ロッテに行った愛甲の時代だったろうか・・・・
海の方に戻り先ほどの石階段を通り過ぎると民家があった。そこをもう少し行くとフェリス女学院。深呼吸すると海の香りと「夜間飛行」の様な上品な香水の香りがした。もう少し行くと外人墓地と港が見えるガ丘公園である。問題はその民家である。その時から15年ほどたつ。僕は札幌勤務で東京に出張があった。折角なので前乗りで行って都内でライブを聴いてそのミュージシャンと飲みたいと思っていた。井上に連絡した。その日六本木のアルフィーで演奏があるが車で行くので家で飲まないかと誘われた。甘えることにした。井上が横浜に住んでいるのは知っていた。着いて驚いた。たまたま15年前に知っていた民家だったのである。翌朝窓を空けるとフェリス女学院のテニスコートがあった。「ハイ」「ハーイ」という快活ではあるが上品な掛け声が聞こえてくる。暫く見とれて会議に遅れそうになった。