アイヒマンと人事権

ホロコーストの罪状認否を問われた席でアイヒマンは冷徹にこう答えた
「自分は上司の命令に忠実に従っただけです」
防弾ガラスで区切られたその一角が異世界であれば納得できたかもしれない。だがそこにいたのは平凡な一公務員だったことに戦慄を覚えるのである。
こういうご時世である。弱い立場の人間はいつ首を切られてもおかしくない。東京都下の地方公務員の競争倍率が36倍だった。納得できる数字である。それをしり目に上級職の国家公務員志望者は減っているのである。長年キャリアを積み課長、局長クラスのなったとする。待ち構えている仕事は人事権だけは持っているが「お答えする立場にない」大臣の為に模範答案を作る仕事だ。予算委員会では答えに窮する大臣の為にカンニングペーパーをその場で作る仕事もある。時には矢面に立って蓮舫議員や辻元清美議員の矛先を変えなくてはならないこともある。詭弁、ご飯論法何でもありの数時間一本勝負、引き分けに持ち込めば天下りカードにポイントが溜まる。普通の感性ではそういう職業にはつきたくないと思う。その結果公務員のレベルが落ちる。各省庁の幹部にはプロでグレたイエスマンしかいなくなる。プログレのイエスとは大違いである。
麻生副総理は「ナチスにもいいところがあった」言い、菅総理は「政権の意向に沿わない公務員は人事異動も視野にいれる」と匕首をちらつかせる。
自分も縦社会の戒律が確定した偽共同社会の会社に20年いたのでその悲哀は多少わかる。僕は経理の仕事だった。経理の仕事は一円までぴたりと合うまで何時間まででも原因を探る。そういう事に象徴される正義の味方の部分も確かにある。ただそれは昼の顔である。5時を過ぎるとスリットの入ったタイトスカート、胸繰りの開いたTシャツ、皮のブルゾンを羽織り10センチのピンヒールを履いて夜の街に立つのである。騙す相手は銀行、公認会計士、本社、取引先、内情を知らない同僚。違法すれすれではない。明らかに法を逸脱しており、人道に反する弱い者いじめもやらされる。勿論上司の指示である。罪悪感を感じていると自分が壊れる。自己防衛反応が働く。情報を占有している優越感とその行為にエクスタシーを感じて自分を救うのである。国会の予算委員会でマル・ウォルドロンのように執拗に同じフレーズを繰り返す高級官僚を見ているとその種の恍惚感を感じているのだと思うのである。
誰もがアイヒマンになりえる。