学問の有用性

半世紀以上前になるが大学時代ある教授に言われた言葉を今でも覚えている。「君たちは社会に出たら有用になるよう求められる。大学時代は思い切り無駄なことをしなさい」日本文学の教授で折口信夫先生の弟子であったと記憶している。当時の日本は高度成長期、雇用形態も終身雇用、年功序列、企業内組合が三本柱で企業にも余力があり新卒社員にも即戦力などという理不尽な要求は無かった。教授の助言もそういう時代背景を反映したものではあったが僕は字面を真に受けjazz喫茶と映画館に入り浸る学生生活になってしまった。
今の時代は経団連の圧力もあり文科系の予算はどんどん削られている。産学協同の研究も多くみられ金を生む研究が求められる。学生にも即戦力が求められ、大谷翔平のように初年度20勝がノルマになったりする。労働者も同じ労力であれば給与の高い企業に流れるし、より良い給与を求め転職をすることも全然珍しくもない。労働市場は流動化しその緩衝材として非正規雇用の人員が穴埋めする。学生も4年のうち最低一年は就活に費やす。就活を勝ち抜くための留学体験であったり協調性をアピールするための部活だったりもする。大学が産業界の予備校化している。ある大学の先生の話である。学生たちの悩みで多いケースが「文学部に行って将来何をしたいの」と周囲から問い詰められることだと言う。何かになるために大学に行くのではない。知的に変容するためである。教育を職業教育に短絡化する思想が蔓延すると国力は必ず落ちる。実際大学生の学力はその論文数からも低下していることがわかる。理系の論文数もネイチャー誌の掲載数からも世界的レベルで落ちている。僕の周りにいる北大azz研の部員たちもそれぞれいい子で優秀であると思うのであるが優秀になるための情報を効率的に身に着けてきた感がある。二十歳そこそこで全人格的は人間を求めるべくもないが自分が育成変化の過程にいると言う事は認識していた方が良い。
麻生財務大臣の講演の一部を聴いた。知識への敬意が全くない。「そもそも中学まで義務教育にする必要があるんですかね。学校出てから因数分解使ったことありますか。世の中で使わないことを習う必要はないんだよ。将棋の若い人・・・なんていったっけ・・あの人だって学校行っていたらあんな風にはならなかった。早い時期から自分の得意なこと見つけて・・・」
将棋の若い人とは、藤井聡太の事を言っているのだと思うが藤井二冠は大学こそ行っていないが高校卒業寸前で退学した。それまでは学業も優秀であった。丁稚奉公的に将棋界にはいったわけではない。退学した理由も強くて勝ち進むので対局数が増えと勉学の両立が難しくなったとの理由からだ。講演を聴くと麻生大臣はまず因数分解と微分積分の違いが分かっていない。親の会社の麻生セメントも潰しそうになって辞めさせられた。そういう人が財務大臣である。国民は危機感をもつ必要がある。
自分が知らない事、できないことを担ってやってくれている人がいる。その集合体が社会、国家である。学問は何を知っているかよりも、何を知らないかをわかる事の方が重要と思う。政治家はそれくらいわかる想像力を持っていてほしい。
大前研一氏という経営コンサルタントがいる。理系学問の重要性を説いている
「文系の学部・学科で学ぶ知識の多くはスマートフォンやパソコンですぐに検索できるし、USBメモリーなどに入れてしまえば、その価値は高く見積もっても、せいぜい5円程度だ」。日本企業凋落の要因がわかる。
付記
緊急事態宣言延長で店は6月20まで基本的には休業する。知り合いに会う事は禁止されていない。国民の自粛疲れによる開店要請には応ずる準備がある。
居酒屋で「酒」を抜くとイヤになる。