日本映画探訪記その10 風の歌を聞け

村上春樹がノーベル賞を取りそこなった日、僕は「風の歌を聞け」のビデオを見ていた。処女小説を大森一樹が映画化したものである。たまたまビデオショップで見つけたのである。村上春樹は自分の原作を映画化するのをあまり好んでいなかったと聞いていたから映像化されているだけでちょっとした驚きであった。原作の時代設定は1970年の夏。映像は新宿の騒乱から始まる。多分1968年10・21国際反戦dayのドキュメントだ。原作にはそういった描写はない。大森監督の強い思いがある。
この場面を見た時にこの映画は村上の世界とは違うと思った。それは僕の印象で映画の出来不出来とは関係ない。原作はすべてにおいて乾いた印象がある。人間関係、風景、音楽まで・・・それが主人公と社会との距離感。友人「鼠」との人間同士の微妙な距離感を醸し出している。映画の方は湿った空気感が漂っている。生活感があり所謂「日本的」なのである。村上はこの小説を英語で書き日本語に訳して作品化した。一度言葉のフィルターにかけ日本的なじめじめしたものを取り除いている。大森監督は一度捨てた物をもったいないと言ってごみステーションから拾ってきているような印象だ。
村上春樹は三島由紀夫や谷崎潤一郎とは一万光年くらいの距離があると思っていた。だが読み手によってはそこに共通項を見出す人がいることに驚きを覚える。まして文学と映像である。表現の領域が違うことを念頭に置かなければ自分の感性は広げられない。
大林監督は原作も脚本も映像を作るための素材であると言い切る。書いてもらった脚本を一行も使わなかったこともある。
原作と映像の関係を考えさせられる作品であった。
巻上公一が役者で出ていたがヒカシューの音楽も一部使われていた。さすがに村上春樹の世界とヒカシューは食べ合わせが悪いと思うのだが・・・・
大間のマグロをソースにつけるような・・・・
参考文献
村上春樹の解説本は本人の小説より多い。厳選3冊だけ紹介する。
「村上春樹は、むずかしい」加藤典洋 岩波新書
「もういちど、村上春樹にご用心」内田樹 文春文庫
「村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる」佐藤幹夫 PHP新書