素晴らしき哉人生

素晴らしき哉人生
「素晴らしき哉人生」F・キャプラ監督作品。1946年の映画でアメリカの良心ともいうべきJ・スチュアートが主演している。心温まる作品でクリスマスシーズンになるとアメリカでは頻繁にオン・エアーされる。その時期日本では「忠臣蔵」が流れる。そんなことはどうでもいい。「素晴らしき哉人生」の話だ。主人公ジョン・ベイリーは小さな町で、小さな銀行を営んでいる。私欲のない人間で所謂人情質屋みたいなところがあり庶民の味方である。ところがある不注意で返済の資金が逼迫する。クリスマスの日川に身を投げようとするところを天使に助けられ家に戻る。そこにはカンパのお金を持ってきた市民で溢れ救われるという話である。こんな話クリスチャンの国のお伽話だと思っていた。ところが葬式仏教の国でも起きたのである。
主人公NYはそこそこ大きな町で、小さなジャズバーを営んでる。私欲のない人間とは言い難いが庶民の味方ではあると思う。ところがもともと経営能力がないうえ、コロナ禍に襲われ固定経費の資金に逼迫する。身を投げようとは思わないがしのぎ方に苦慮していた。そこにお客さんから浄財が届きだした。遠隔地の方もいらっしゃる。ミュージシャンからも暖かい申し出がいくつかあった。Lazy には門外不出の音源がある。M山から自分が関係している音源を販売して電気代にしてくださいと言われた。音源は演奏家にとって飯の種である。抵抗はあったが生き延びれば恩返しをできることはある。関係する東京組にも承諾をもらい今作業中である。「山」と言えば「川」が合言葉である。M川からは自身のHPに支援のカンパを募る文面を載せてもいいかと言う申し出を受けた。電話中「ありがとう」と言いながら何度も頭を下げた。
日曜日の昼下がり、jazz研OBのNから一通のメールが入った。学生時代お世話になった店を応援したい、後輩たちにも声をかけるので口座番号を教えてと言う。甘えることにした。その翌日、全国から支援金の振り込みがあり、励ましのメールももらった。元学生の安否を確認できたことに安堵し、昔の演奏を思い出しながら返信を出していたら図らずも涙ぐんでしまった。前に涙を流したのはエイプリルフールの日、玉ねぎの微塵切りをしていた時だ。
同じ日、店に行きシャッターを開けると封筒があった。今度は何の請求書かと恐る恐る見ると僕の名前がプリントされているが差出人の名前はない。開けるとお店を応援したい、もし必要なければ演奏家の為に使ってほしいとワープロで打たれた文面と現金が入っていた。匿名である。何度も何度も文面を読み直した。その方の気持ちが少し分かったような気がした。
改めてこの場を借りてお礼を申し上げたい。応援して下さったすべての方に・・・・・・
本当に本当にありがとうございます。
素晴らしき哉人生です。