辛酸震災詳細日記 その7

9月8日
僕が起きた時には米木は電話中であった。ベースケースの手配である。オペレーターにつながるまで1時間半かかったという。東京、札幌に電話が集中するので沖縄が狙い目らしい。プレイだけではなく手配も百戦錬磨だ。どうやら今日中には帰れそうだ。朝食が最後の晩餐になる。食後買い出しに行く。鮮魚、卵、納豆、牛乳はどこへ行っても品切れだ。買い出しに行く途中、二人の方から「おはようございます」と声をかけられた。知らない人だ。普段から、そういう声をかける方なのかもしれないし、停電を一緒に乗り切った同胞への挨拶だったのかもしれない。勿論僕も「おはようございます」と挨拶を返す。電気がつくだけで世の中かなり明るくなる。
母親のところへおかず持参で後かたずけに行く。右手がほとんど使えない。それでも余震が収まり、電気が付くと表情が明るい。僕もこの程度で済んだんだから良しとしよう・・・・と言う方向に話をもっていく。「そうかもしれないね」という事になる。年寄りが愚痴りだすとデフレスパイラルに陥ってしまう。それを防ぐためだ。
それにしても実家にはいらないものが多すぎる。今、断捨離を兼ねて片付けているがまだまだかかりそうだ。
米木はやっと夕方の飛行機が取れたようだ。何があるか分からないので早めに店を出るという。
「いろいろあったけど、ありがとう」とがっしり握手をする。いつもより力がこもっていた。
「何か手伝うけど・・・・」と何度も言われたけれど犬でもできるお使いぐらいしかない。
それでもああいう時、誰かがいるとちょっと安心する。
僕が誰かを助ける。それが回りまわって誰かが僕を助けてくれる・・・・そんな循環コードの様な共生社会になればいいなあと思う。今回のようなことがあると・・・・。