2019.7.26 マキシム・ワールド・ジャズ・トリオ

Maxme・Combaruie(p)三島大輝(b)伊藤宏樹(ds)
 前回のこのトリオ演奏でマキシムの個性を少しは掴めたと思っている。やや回りくどく言うと、アメリカはジャズ発祥の地であるが、その多様さから説明するのは容易なことではないにしても、わが国の多数はアメリカ的なるものを体感的に分かっているような気がする。そのアメリカの多様性のどの区画にも属していないというのが、少なくとも前回掴めたマキシムの個性の位置である。他のヨーロッパ国民以上にフランス人は自国語に固執するとよく言われている。訊いて見ると、マキシムはその通りだと頷いた。今回は止むを得ずカウントに英語を使っていたが、言語観と彼の音楽とは不離一体である。これを24批評界ではマキシムのFrench-Connectionと言っているらしい。通常私たちは、音楽を聴きながら頭の中をあちこち徘徊することもあれば、じっと立ち止まったりもする。そんな状態のなかで耳を傾けていると、マキシムはラ・マルセイエーズの勇ましさを柔らかさに変換させながら端正なピアノで行進しているように思えてならないのである。その行進に合わせて、マキシムの音楽に対する筆者の理解も半歩は前進したようだ。ここまで来て気恥ずかしいが、以上のことは彼のエスプリの所在はセーヌ河であってミシシッピー川ではないと言ってしまえば済むことであった。演奏曲は「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」、関西のアルト奏者の曲「大きな桜の木の下で」、「ソーラー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「エアジン」、「酒とバラの日々」、オリジナル「4:00 AM」、「ステラ・バイ・スターライト」、ブラジルもの「テドルフィン」、オリジナルの「ハピネス」で閉め。アンコールは日本をイメージしたオリジナル「エリカ」、これはソロを割愛したので2分ほどで終了、次回は演奏サイズをマキシマムにしてもらいたいものだ。
 では蛇足。ヴィジュアル的に伊藤は生粋のニッポン顔である。三島は気合が入るほどにゲバラ顔になる。マキシムは気のいいヤサ男顔。彼ら3人は自由・平等・博愛に満ちているかは分からないが、ひとまずWorld・Jazz・Trioと名付けて逃げ切りを図ることにした。
(M・Flanagan)