2022.7.15 鈴木央紹Meets The Rhythm Section

 ここのところ生きのいい若手と支配人クラスの演奏家をジグザグに味わっている。そうしたことを抵抗なく受け入れており、パソコン使った上書きのように前の記録を消失させてしまうようなことはない。誰しもそうであると思うが、所持しているレコード・CDの類で、アレを聴いてみようかと思うものと余り気が進まないものとがある。勿論、これは一個人に付き纏うカタヨリなので、そうではないという人が否定される謂れはない。筆者は凡庸にこれは聴き逃せないなと思う一群の演奏家を中心に繰り返し聴きして来ているにすぎない。それがライブに対する自然体での測量感覚だ。もう薄々答えを言っているようなものだ。鈴木央紹はスルーできない演奏家なのである。縦横、奥行、深さ、重量感、つまり音の容積のようなものを一発で体感できるのだ。ハズれのないクジはクジとは言わないかもしれないが、これまでハズレたことはない。今回は札幌のシーンを背負っている本山のトリオに参加しているのだが、例えば演奏曲の中にO・ネルソンの「Butch&Butch」という曲があった。後に鈴木に初演かどうかを尋ねてみると、初演だと言った。曲読みの深さとそれが平然と音として化けて出る様は普通でなさすぎる。バド・パウエルの作品を借りて言うならば、アメイジングでありジャイアントである。あっという間に時が過ぎてしまのも仕方がない。唐突にあることを思い出した。吉田茂が占領軍たるGHQとの協議中に、連中の頭文字をなぞってGo Home Quiclyと脳裏で呟いたらしい。論理の場に感性が割って入って両義成立している様子が窺われる。鈴木によれば演奏中途切れることなく原曲の旋律が流れているという。表の一枚が実は二重構造になっていることの実例として吉田を思い出だしたのかもしれない。ここまで来ると気分は頂上付近だ。余計なことを言って滑落せぬよう、肝心のリズム・セクションについて語ることは容赦願いたい。演奏曲は「Embraceable You」、「Pensativa」、「Guess I’ll Hung My Tears Out To Dry」、「Butch&Butch」、「Midnight Mood」、「Blessing」、「Worm Valley」、「I Remember April」、「In Love In Vain」。
 ところで、私立ちは“本日限り”“残りわずか”“というチラシが踊ると黙っていられない主婦心理が働く。鈴木央紹、その名を見ると、吾輩は主婦であるになるのである。厄介なことに9月早々鈴木がまたまた来演するとのことだ。立派な主婦としてちょっといい前掛け締めて行かねばならないな。
(M・Flanagan)