1980年12月8日ジョンレノンは暗殺された。この日の事はよく覚えている。高校時代はビートルズのフアンであった。だがこの日には過去形で語るほど冷めていた。オノヨーコがアルバムに係わるようになってから殆ど聴かなくなってしまった。兎に角オノヨーコはやることなすこと生理的に受け付けないのである。その前衛的美術作品やらベッドインしての反戦運動やら全部が胡散臭く感じていた。そして友達のいないジョンがヨーコの愛に助けられたなどと聞くとおいおい・・・その程度の孤独感かいと言いたくなるのである。マザーコンプレックスが見え隠れし幼児性が見えだした時「イマジン」が嘘くさく聴こえはじめた。当初ケネディ暗殺と同様軍産複合体制の陰謀説も浮上したが犯人のマーク・チャプマンなる人物もお粗末な人間であった。ジョンはCIAにマークされていたらしいがコンサートに何万人集まろうが権力側にはなんら脅威を与える集まりではなかったのである。むしろ良いガス抜きになったのではないか。ジョン自体が音楽資本の籠の鳥である。その籠が大きすぎて本人もフアンもその存在を忘れているに過ぎない。人の死に対し冷酷な感情を持ったことでも忘れない日ではある。
真珠湾を奇襲し日米開戦の火蓋が切って落とされたとされる日でもあるとされている。これは軍のプロパガンダである。この日の大本営発表では西太平洋で英米と戦闘状態に突入したと発表された。少なくともハワイは西太平洋ではないしなぜ米英ではないのか。この日西太平洋のマレー沖でも英軍と戦闘状態になっている。だがこちらの戦いは地味で真珠湾ほどの戦果はあがっていない。翌日大々的に戦果を発表するための伏線になっている。そしてまさにこの日戦争が始まったかのような印象を持つが錯覚である。AÁBAのスタンダードが有るとすればこの次点でもうBまで曲は進んでいると言う事である。事の発端は石原莞爾が始めた満州事変である。落としどころを見失い米英との戦争にまで突入してしまった。
