毎日自宅へ帰ると締め切った部屋が30度以上ある。換気をして、ある程度涼しくなってから寝ようと思うのであるが若い時の様にいつでもどこでも寝られるということはなくなった。あるポイントを過ぎると眠気が訪れない。入りそびれたテーマに入るのに1コーラス流す感覚と似ている。せっかくテーマには入れても睡眠時間というソロが段々と短くなってくる。それもダイヤル盤時代のパーカーの珠玉の短いソロともかけ離れた中途半端な睡眠で起きた時からすっきりしない。それにこの暑さである。昼寝もできない。早めの昼食をすますと店に避難している。せっかく早出したのだから事務作業をやってしまおうとは思うのだが日にち、時間帯によってネットに繋がりづらくなっている。そうだ日記を更新しようと思い日付を入力した時コルトレーンの命日であることを思い出した。
ジャズにのめり込み始めて頃時代はコルトレーン以降のポストフリーの音楽を模索していた。ジャズ喫茶ではまだコルトレーンが主流でかけられており僕も半分洗脳されていたのでコルトレーンより軟なものは聴かないと心に決めていた時期がある。セシル・テイラーが「マッコイ・タイナーはサロンピアニストである」と発言したのを聞いてちょっと困ったことになったと感じたことを思い出した。インパルス時代のマイフェバリットシングスやインプレッションが入っているものを聴きエネルギーの在り方の違いを確かめていた。バラードの時のメロディーを限りなくストレートに吹く奏法はモーダルな奏法のある意味での限界を示していると思っていた。それはプレステージ時代歌ものに固執して録音していた音源を聞くと確信できる。コルトレーン死後誰が後継者かという問題がジャーナリズムで取りざたされていた時期があった。ディブ・リーブマンやエイゾー・ローレンスの名前が挙がっていたが皆コルトレーンの亡霊におびえる存在でしかなかった。評論家油井正一が「同じ楽器から後継者が出るとは限らない。後継者はマッコイタイナーである」と発言したのは卓見であった。コルトレーン死後自然回帰などが叫ばれ牧歌的な、あるいはスピリチュアルなサウンドが流行りだした。「リターントゥフォーエバー」「パストラル」はその典型である。コルトレーンが亡くなったのは40歳である。それまでにあの偉業を成し遂げているのである。こちとら70歳過ぎても何も残していないことを恥じながら静かにコルトレーンに手を合わせるのである。