国葬を考える会

国葬を考える会というシンポジウムが二日前東大で開催された。You tubeで見ることができる。呼びかけ人は哲学者國分功一朗氏、法学、政治学など各分野のエキスパートの学者が集まってのシンポジウムで敢て「国葬を考える会」であって「反対する会」ではない所に知見を感じる。深い議論が展開されていた。
国葬問題点は閣議決定の法的整合性、安倍元総理の政治的成果の評価、費用の問題などツッコミどころ満載であるが、それは通常ジャーナリズムに任せこの会での片山杜秀慶應大教授の指摘を紹介しておく。

「天皇なき愛国の時代に入り、民衆が愛国一枚岩の大運動としてのファシズム運動による新政権が誕生する基礎が整いつつある。その一里塚としての国葬だろう」
怖い指摘である。ある時の日本を思い起こさせる。この10年で日本を二流国に貶めた人物が強いリーダというイメージだけで一部の国民にあがめられている。その国民性はどう培われたのか・・・。諦めと無知の総体である。ここ10年の愚策を忘れない為、最後まで言い続けなくてはならない。政治は生活に直結している。
新聞を読んでいれば気が付くことをいくつか指摘しておきたい。国葬を弔問外交の場にするという開催理由・・・。G7の首脳は誰も来ない。最後の一人であったカナダのトルドー大統領も国内の災害対策を優先するとの理由で欠席を決めた。同じ時期日本でも大雨で静岡県では5万世帯断水中である。NHKではこの事実を一切報道しない。フランス代表で来るのはサルコジ元大統領でこの方は汚職で前科者である。これくらいの人物が相応だろうよ・・・というフランス流のシニカルなエスプリである。IOCのバッハ会長は来る。そりゃ・・・コロナ禍にもかかわらずオリンピックを開催して一儲けさせてもらったのだから・・・と言う事だろう。
各界の著名人にも招待状が送られているが出席率が悪いので数合わせの為日付を手書きで直した招待状がばらまかれている。僕の所には届かなかった。川原乞食界ではそこそこの業績を残しているはずだがそこまでは困っていないらしい。そういえば自民党員だったことが有る。町村信孝氏の初陣の時だった。会社の商売絡みの案件で党費は要らないから名前を貸せと言われて身を売った。

権威と権力

エリザベス女王と安倍元総理の国葬が重なってしまった。そこに国の統治の在り方の変質が見て取れる。法的な解釈、故人の生前の政策的実績も問題だらけであるが取りあえず置く。イギリスは長い歴史の中で学習し王室を権威と位置づけ権力は議院内閣制の長に委ねた。日本も遅ればせながら第二次大戦後天皇は象徴とし権威付け権力は議院内閣制の長である総理に委譲した。権威と権力を持つ天皇が軍部に利用され戦争に邁進した歴史を反省したうえでの選択である。ここでは押し付けられた憲法議論も置いておく。安倍政権からここ三代の政権は峻別されていた権威と権力を行政の長に引き寄せようとしている。戦前の大日本帝国の姿だ。今の日本は国葬で賛成・反対に二分されている。この分断が実は自民党にそんなに不利に働いていないことに驚く。自民党の支持率は勿論落ちている。ところが野党の支持率も落ちているのである。増えているのは支持政党なしなのだ。政治不信による無党派層が増えていると言う事である。こうなると強いのは組織化されている自民党だ。やけっぱち解散がない限り三年間国政選挙はない。国民のパンチをクリンチでしのぎ切れば自民党は明日のジョーの如く甦るかもしれない。安倍元総理は街頭演説で「こんな人たちには負けるわけにはいかない」と言った。我々はこんな人たちに負けるわけにはいかないと言った人に負けるわけにはいかない。三年目の浮気・・♪は大目に見るが三年後の選挙は大目に見る訳にはいかない。
エリザベル女王に哀悼の意を告げる国民の列にベッカムがいた。9時間並んでいると聞いた。イギリスも色々な問題を抱えている。議会では労働党と保守党がののしり合う姿をよく見る。しかしこの様な国葬では妙な駆け引きはない。
何度も言うが日本の国葬は葬儀ではない。安倍家の葬儀は終わっている。国葬には参列しない野党議員も線香をあげに行ったと聞く。だいたい葬儀に出欠を取るはがきを出すなど今まで聞いたことがない。結婚式か・・とタカ&トシ風に突っ込みたくなる。
国葬がある人物の権威付けに使われようとしている。「理屈じゃねえんだよ」と言うお歴々にはアルバート・アイラーか・・・・と突っ込んであげて欲しい。

札幌五輪の行方

東京五輪の泥沼化した贈収賄事件を受けてJOCと札幌市が「宣誓文」を発表した。三つの検討事項をあげて運営方法をしっかりと議論するとある。中身はほとんどない。浮気がバレた旦那が取りあえず「もうしません」と言っているに過ぎない。このまま立ち消えになってほしと考えているが秋元市長の二枚腰には驚く。バッハ会長に会いに行ったが会えなかった。ある時期まで札幌が他の候補地より優位に立っていた。ボッタクリ男爵の真意はわからないが候補地選定期間を先送りした。他の候補地に根回しをしているという説もあるが焦った日本が多額の上納金をもって懇願に来るはずだと高を括っているのかもしれない。IOCは東京五輪汚職と札幌五輪は別物と火消しに懸命であるが東京五輪と札幌五輪の違いは「統一教会」と「家庭連合」の違い程度である。「Oleo」と「I got rhythm」の違い程はない。電通を斬るぐらい言えば評価するのにやる人間が同じならば結果も大体同じであると考えるのが普通である。大体札幌でやる意義は何なのだ。「地球と未来に優しい大会で新たなレガシーを・・・」大会ビジョンであるが・・・なんのこっちゃと言いたい。
東京五輪と札幌五輪で国民の生活は「蹂躙」されるだけである

11days 総括

ビートルズの曲に8days a weekと言う曲がある。それよりも多い「一週間に十日こい」という五月みどりの歌もあるが今回はそれよりも多い11daysであった。
東京の若手三嶋トリオともう大御所と呼ばれてもおかしくない松島、央紹との2daysを軸に晩夏の11日公演が終わった。僕は夏の甲子園を戦い抜いた高校球児の様に店で立ち尽くした。
砂はないのでごみを持ち帰った。あまり金銭的なことを言うべきではないと思うが東京から5人呼ぶとどう転んでも黒字になることはない。赤字を出来るだけ抑えることに店の存続が掛かっている。今回もライブCDRを購入いただくことで多くの方に支えてもらった。本当にありがとうございました。音源は公式記録員である牛さんが一枚ずつ煎餅を焼く様に制作中の筈である。しばらくお待ちいただきたい。9月3日のクインテットはlazyライブ史上最高の部類に位置付けられる演奏であった。何人かのお客さんから企画してくれてありがとうございますと言われた。フロントの二人も凄かったがバックのトリオが最終日と言う事もあって気合が漲っていた。演奏が終わって三嶋が「二人とやらせてもらってトリオの問題点が判ってきました」と言った。そのセリフが聞けただけで今回やって良かったと思うのである。ボーカルのナミさんも客席を埋めてくれた。ナミさんも三嶋トリオで東京でやれる関係性もできた。最終日の学生も頑張ってくれた。央紹から暖かい励ましの言葉もかけてもらっていたようだ。コロナは第7波であるが10月本山禎朗、池田篤をメインに7daysの第8波がやってくる。僕はもう物はあまりほしくはない。やって良かったという記憶をミルフィーユの重ねその一部をお客さんと共有したいと考えている。

コンプレックス文化論 武田砂鉄著

今日買ってきた本なので読み切ったわけではない。前書きを読んで目次を眺めていた。コンプレックからどのような文化が生まれてきたかを考察した本である。章別に色々なコンプレックスが列挙されている。天然パーマ、下戸、一重、親が金持ち、遅刻、背が低い、ハゲ等々。遅刻の章をぱらぱらめくってみた。ひよっとしたら日本jazz界の大御所Oさんの事が考察されているかと思ったが名前はなかった。この章は後でゆっくり読むとする。やはり気になるのはハゲの章である。僕はハゲに関しては新主流派jazzに関してくらいうるさい。僕の頭髪事情に関して説明しておく。20代の時から若白髪でアンドレ・プレビンのピアノくらい白かった。ぺいぺいの会社員だった頃上司と銀行周りをしていた時の事だ。融資課長が僕に向かって預貸の話をするのである。「あの、課長はこちらです」と言った時の融資課長の驚きの顔を今でも覚えている。会社の戻ってから上司に「お前髪染めてこい」と言われた。白髪は禿げないという言い伝えがある。ガセネタである。30代の半ばで円朝の怪談噺の様にバサバサ抜ける時期があった。いちおう会社員なので今の様にバリカンで五分刈にするわけにもいかず中途半端な髪型にしている時期があった。それでもハゲに悩んだことは全くない。僕みたい感覚を持っているのを「ポジティブハゲ」という事をこの本を読んで知った。こういう事を研究している人がいるのだ。「禿を生きる 外見の男らしさの社会学」須長史生著の中で「ポジティブハゲ」の問題点を3点指摘している。一点だけ紹介しておく。禿げた男性に特定のイメージが付着した男性像(明るい、精神的に強い、外見を気にしない)を要請しているとある。自分の事を言われていると思った。このような「ポジティブハゲ」によって救われるのはごく僅かであり有害ですらある。ええ・・・と思ったが思い当たる節がある。自分はある分野は気を使って話すがある分野は雑になる。相手の立場で考えることの大事さを思い出した。勉強になる。
禿げはありがたがられる抜け道がある。例えば「デブ」「ブス」と公式の場で発言したとしたら一発レッドカードである。ドリフターズのコントで加藤茶がハゲカツラを被って「あんたも好きね」と言ってもセーフなのである。それは坊さんの世界では毛が生えている人より剃髪している人の方が徳が高い気がするからである。この本でも述べている。瀬戸内寂聴が剃髪してるからこそありがたく話を聞くわけでサザエさんみたいにチリチリパーマだとしたらありがたくないでしょう。そうかもしれないと思う。
気持ち良く禿げているストーンズのキース・リチャーズがミック・ジャガーがナイトに叙勲された時のセリフがいかしている。知りたい方は本を読んでください。
付記
本の紹介と言うよりハゲ談義になったしまった。ついでなのでハゲネタを紹介しておく。今バンクーバーにいるマークが言っていた。カナダは髪の量で散髪代が違うらしい。
「俺ならいくら」
「マスターはほとんどタダだな」
臼庭と例によって駄洒落を言っている時の事だ。ミュージシャンにあだ名をつけていた。小樽の素晴らしいサックスプレーヤーOは時々フルートを吹く。「ハーゲーマン」でどうだというところで話は落ち着いた。回りまわって本人に伝わってしまいむっとしていたという話を聞いた。その時僕は「ポジティブハゲ」と言う用語は知らなかった。

2022.9.2 無条件の降伏と幸福 

松島啓之(tp)鈴木央紹(ts)加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
 4番バッターの次が4番なのは明らかにルール違反である。ところがLIVEというのは演奏家によるその時限りの営為なので、ルールはメンバーの掌中にある。従って、彼らが一般的社会規範の干渉を受けることはない。そこに率先して巻き込まれれば、私たちも普段の縛りを忘れてステージを見つめることができる。しかも4番以外もソロありバッキングありの機会均等で嘘がない。何とも羨ましいことだ。今回のような若手と経験を積んだ演奏家の組み合わせはごく普通のことであるが、このメンバーなら私たちをどう説き伏せてくれるのだろうかという思いが胸中を往来する。若手陣の聴きどころは枠をハミ出さんばかりに前に向かって突き進む俗受け関係なしの清々しさにあるし、一方の熟練者は若手であった時を水に流すことなく今日に反映させ、過去と現在を同一過程のものとして自身を研磨している。そうした違いが原動力となってバンド総体としてどのように調和するのかに興味が湧くのである。いま目の前で何が起ころうとしているのか。予想に違わぬことと予想をこえることの両方を期待しているのだ。先発する松島の躍動感は身震いさせるに十分であることは予想どおりであったが、この音色には良心が宿っているのではないかと感じたことは予想外であった。盟友の鈴木については、最早どう綴ってよいか分からないので、イメージを掻き立てたままに言うと、例えば、Mt.富士を描けと云われれば、多くの者がほぼ左右対称の典型的アレを描くのだが、彼は上空から俯瞰して如何ようにも描くのである。既定の視点にない処から放たれる演奏に終わりのない物語を感ずる。少し力を抜いて若手について触れよう。今どきの用語を使えば、彼らは一様に「持続可能な発展目標」を地で行っている。3人揃っているのを聴くのは確か3度目になるが、回を追うごとに進化している。出荷されない規格外の野菜には思いがけない味わいがあるのだ。そうでなければ選定厳しいLBの座敷に上げてもらえない筈だ。筆者はブッキングに関与する権利はないが、「また来るよ」と語りかける権利はある。彼らの日々の研鑽と奮闘とが音に滲んでいるのが伝わってくるのである。終演直後にヘトヘトになっていた加藤がふとフロントに向けてこぼした賛辞を以て結びとしたい。「あの人たちバケモノだ」。演奏曲は「Ugetsu」,「Serenity」,「Skylark」,「Craziology」,「Panjab」,「Ceora」,「La Mesha」、「Fun」,「All The Things You Are」。この日の興奮をCD-Rでお届けできるようなので、迷いなくLAZYBIRDのブログでご確認されたい。
 先月の8月15日は、「終戦記念日」になっている。ところが世界標準では正式に調印行為のあった9月2日が戦争終結の日とされている。日本国は「無条件降伏の日」を意図的に不採用にしたと思われる。LIVEにはそのようなスリ替えはない。重苦しいことを持ち出してしまったが、このLIVEのあった9月2日を「無条件幸福の日」として調印しておきたい。昨今賑やかな事件簿を引いて今年は最後となる2管に申し上げる。「LIVEには行くが、松島の印鑑と鈴木の壺を買うつもりはないよ。」
 なお、前日9月1日はリズム・セクションを務めた加藤友彦トリオのLIVEがあった。バンマスの加藤はリハした曲をやらなかったらしく、三嶋はこのルール違反に苦笑していたが柳沼のアグレッシブなドラミングもあってスリリングな出来栄えになっていた。彼らの白熱ライブもCD-Rの提供があるようなので、演奏曲を紹介しておく。「Simply Bop」,「Boplicity」,「Bolivia」,「This Autumn」,「Alone Together」,「Dolphin」,「Time After Time」,「Just Friends」,「Fogtown Blues 」。
(M・Flanagan)

Queen

岸田総理がなんとも間の悪い男に見えた。世論にボコボコにされながらも安倍元総理の国葬だか国葬儀だかを画策している時、英国のエリザベス女王が亡くなった。こちらは文句なく国葬である。だがこの国葬でさえ議会の承認を得ての上だ。昔芸能人物まね合戦で歌真似をしているとサビから本人が出てくる演出があった。歌真似芸人は本人出てきちゃしょうがないなあ・・・という程ですごすごとそでに下がる。岸田総理にはその種のかっこ悪さが纏わりついている。適当な国葬を演出していたら本家の国葬が出てきたと言う事である。あちらは本物のQueen、安倍総理はキャーイーンである。エリザベス女王はかつての大英帝国のダウンサイジングを成功させたと言う事が最大の功績と考える。世界一から転げ落ちると国民はぐれるものだが女王が国民の人心をうまく掌握していたと言う事だと思う。開かれた王室を目指し国民に愛されていた。007の映画でロンドンオリンピックの会場にダニエル・クレイグと一緒にヘリからパラシュートで降りるシーンがあった。ブリジッド・バルードー主演の映画で「殿方ごめんあそばせ」という何とも気の利かない邦題のフランス映画がある。Bバルドーはフランス首相の娘役で総理秘書官と結婚している。夫の気を引く為ある国の殿下とアバンチュールを楽しむというフランス映画に在りがちなストーリーである。この殿下をシャルル・ボワィエが演じているがどう考えてもネタはエリザベス女王の夫フィリップ殿下である。そこでのエリザベス女王風の女優がいうセリフがしゃれているがここからは有料サイト・・・

盆暮れ商法

国葬に関する閉会中審査があった日、統一教会と自民党の接点関係調査の発表もあった。どさくさ紛れに同日にして風当たりを半減しようと言う毎度おなじみの手口だ。誰しも盆と暮れが一緒に来れば忙しい。大体なんだこの新聞の接点調査と言う表現は・・・癒着関係調査でしょう。こんな言い換えが通るなら不倫関係も男女の接点関係で逃げられる。話がルート66にそれた。・・・そんなことはどうでも良い。岸田総理が国葬の正当性について述べていた。僕は国葬と聞いただけで感情的に断固反対と思ってしまうがもう少し冷静に中身を考えてみたい。安倍総理の在任期間が憲政史上最長だったことをあげている。長いものが良いならコルトレーンのソロだって蛇だって、米木の髪だって長い。問題は中身である。選挙に六連勝して自民党内の立場が盤石になったに過ぎない。本人亡き後もアホノミクスの後遺症に悩ませられている。費用も当初終わってみないと分からない・・・というオリンピック同様どんぶり勘定である。渋々16億6千万円と試算を出した。あんなことが有った後だ。海外要人の警護には莫大な費用が掛かるはずだ。そしてその費用は国会審議の要らない予備費から支出される。この予備費コロナ対策用だったはずである。
そして重要なことであるが憲法解釈の点からも問題がある。憲法学者木村草太教授の力を借りる。第一、内閣に国葬をする権利があるか。政府見解は「故人に対する敬意と弔意を国全体で表す行為」と表現している。「国全体」が国民を意味するのであれば思想良心の自由を保障する19条、表現の自由を保障する21条に抵触する。第二、「国全体」が安倍元総理敬意を感ずる国民の一部であるなら国葬とは名ばかりの私的行事になる。私的行事は内閣の管轄外だ。第三、「国全体」が内閣をさすなら内閣葬であり国葬と言う権限はない。
100歩譲って私人を国葬待遇で送り出すとすれば政治的遺産が評価されるのを待つべきと考える。誰の入知恵かは想像できるが一総理が思い付きでやるべきものではない。すぐ反応するのはjazzだけで良い。そしてこの国葬を取り仕切るのが桜を見る会を仕切った業者である。推測に過ぎないが疑問符が五つくらい浮かぶ。

アンケート

昼下がり非通知の番号から電話が掛かってきた。出ると衆議院が解散した場合のアンケート調査だと機械的な音声が喋った。#キーを押してからお答えください・・・・・電話に出ながら入力キーボードを画面に出す高等技術は持ち合わせていない。弄っているうちに誤って電話を切ってしまった。不審な電話ではあった。会社名は名乗らなかった。確かに衆議院が解散した場合・・・と言った。3年間国政選挙はない。その時はと言う意味だったのか・・・質問内容をもう少し聞きたかった。本当に衆議院が解散して国民の意思を確認してほしい所だ。岸田総理は前の二人が酷すぎたので少しはまともかと思っていたが割れ鍋に綴じ蓋であった。統一教会との関係性を問われたとき党としては調べる意思はなく個人任せにした。自分は質問に答えなかった。選対委員長が統一教会関係団体の幹部であったことがバレると「自分の知る限りでは関係はなかった」としらを切った。秘書任せで祝電を打ったのとはわけが違う。コロナ感染者が毎日過去最高である時に夏休みを取ってる場合か‥とまず言いたい。誰しも休暇は必要だ。そこは折れよう。その後だ。コロナに感染した。これだけ蔓延すれば総理とて流れ弾に当たる。そこを責めるのも止めよう。国民には抗原検査を勧めておきながら自分はPCR検査である。精度に問題があるからだ。国民は発熱外来の受診に何日も待たなくてはならない。自分の痛みを国民の痛みに感ずる想像力はないのか。軽症だったらしくすぐリモートで仕事を始めた。働き方の模範を見せたいが為であろうが国民に間違ったメッセージを与えかねない。そういう環境にいる階層は限られている。番記者の会見もリモートであるにもかかわらず大型画面の前に記者が並びメモを取っている。全く無意味である。記者も誰一人「リモートの意味があるのですか」と聞かない。
二階元幹事長が吠えている。統一教会との関係について問われ「自民党はびくともしない」
「電報頼まれれば打つんですよ。『応援して遣ろう』と言ってくれたら『よろしくお願いします』と言うのは合言葉ですよ」と発言した
そして国葬については「当たり前のことでやらなかったら馬鹿だ」と述べた。世論が反対6割である。6割の国民が「お前ら馬鹿じゃないの」と言われているのである。もっともっと怒って良い。斜に構えて冷笑するのがかっこ良いわけではない。
付記
日曜からの11days・・・・どの日も苦戦し当確が出ない。どの日も密にはならない模様である。これまでの経験で言うと危ないのは打ち上げで、マスクをして演奏を聴いている分には危険度は少ないのではと思う。医学的根拠はない。僕は札幌のjazzの店のマスターで感染の流れ玉に当たっていない数少ない一人である。あの「壺」のご利益かもしれない。外出を自粛されている方の為にミュージシャンの好意でライブ音源CDRも販売させてもらう。尚今回限りの特典で購入いただいた方には三嶋、松島、央紹が体を清めた「聖水」をプレゼントさせてもらう。詳しくはトピック欄をご覧いただきたい。統一教会以外の方のご支援を賜りたい。

黒い恋人

東京五輪組織委員である高橋治之容疑者が贈賄で東京地検に逮捕された。組織委員は「見なし公務員」に当たるのでAOKIからのコンサルタント料5100万が贈賄罪に当たる可能性が有るとの判断である。次にオフィシャルスポンサーになるにあたっての金額が高いと言う事でアオキが高橋容疑者に相談したところ2億5000万負けてくれたそうだ。これが電通経由で2競技団体に回されているが総額が合わないのと金の動きがおかしい。スポンサー料は総額のみで個別には守秘義務を盾に開示されていない。東京五輪のスポンサー料総額は歴代1位である。それまでは各業種1社だったものが高橋容疑者の提案で電通勤務時代に変更になった。その根拠は「スポンサー料が少ない場合赤字分は税で補わなくてはならない」という一見もっともらしい説明がなされている。ここが「中抜き」の温床になった。東京が招致活動で一度リオに負けてから積極的にIOC委員の囲い込み運動に走った。特にアフリカの委員に攻勢をかけた。直接金を渡すのはご法度だがお土産はいいらしい。セイコーの500万ほどの時計がばらまかれたと聞く。「そんなことほっ時計」と言っている場合ではない。この金はどこから出たのか・・・捜査はここまでは及んでいない。どこまで解明されるかは不透明であるが多分高橋容疑者が立件されてお開きになりそうな予感がする。高橋とて一匹の蜥蜴である。尻尾を斬られるくらい電通にとっては痛くも痒くもない。なぜコロナ禍の逆風の中オリンピック開催にこだわったか考えてみたい。スポンサーあるいは放映などの利権もあっただろう。だが最大の利権はオリンピックにかこつけた東京の再開発であると考える。オリンピックが終了してから神宮の樹が伐採されていると時々小さな記事を見る。静かに確実にそれが始まっている。ちゃんとした総括をする前に組織委員会は解散してしまった。そんな中、秋元市長が秋に招致活動であの「ぼったくり男爵」に会いに行くとの記事が道新に載っていた。お土産は「白い恋人」程度にしてほしい。東京の二の舞になるのはごめんこうむりたい。
付記
来週からの一大イベントのお誘いと来られない方の為のライブCDRの販売の告知がある。トピック欄をご覧の上ご支援を賜りたい。