2020年 新年ご挨拶

あけましておめでとうございます。御陰様で何とか年を越すことができました。本当にありがとうございました。緊急事態の時もまん防の時も、酒類提供禁止の時も店に足を運んでくれた方に感謝。ライブCDRを定期的に購入してくれた方に感謝。ただで読めるブログに購読料として定期的に振り込んでくれる方に感謝。匿名で郵便受けに現金を投げ入れてくれた方に感謝。世話になった店を救えとカンパを募ってくれたjazz研OBの連中に感謝。店の基盤を支え続けてくれた常連の方々に感謝。ライブ音源を快く販売させてくれたミュージシャンに感謝。一緒に居るだけで元気になる現役jazz研の学生に感謝。そして命と引き換えに店を永らえさせてくれた母親に感謝。
今年もいつまでもつかはわかりませんが少しでも恩返しをしたいと考えております。それが直接助けていただいた方にではないかもしれません。回りまわって届くような共生社会を念頭に置きながら店も運営したいと考えております。

2021  レイジーバード ウォッチング

『Jazz is』。これは批評家ナット・ヘントフ氏の著作のタイトルである。「is」のあとに来るのは個々人のJazzに対する思いであり、特定の解はない。だからヨソからの縛りを喰らうことなく聴いていられる。これは結構大切なことのように思う。今年もソロから複数人の編成まで様々なタイプの演奏に接したが、それは偏に楽しみの幅の広がりとして受け入ればよいのだと思うが、どうだろうか?。さて、今年はどんなだっただろうと考えてみると、気分のうえで上半期はモヤモヤ、下半期は割り切りといった感じだ。思いつくまま振り返ると、6月までは常連の鈴木央紹、若井俊也、Unpluged Rockなどが記憶に残る。それと若井のライブに客演した村田千紘の「Blue In Green」が個人的には印象深い。7月以降になると時間制限と酒類禁止の中、皆さんがチビチビとウーロン・トゥギャザーしていた時の光景を思い出す。それはさておき、ライブの話に戻ろう。まずは三嶋のトリオだろう。毎度の手土産“東京バナナ”の皮1枚で滑らずにいた三嶋が満を持して連れてきたメンバー(加藤友彦(p)と柳沼祐育(ds))とのセットだ。このトリオは彼の自信を裏付ける出来栄えだった。連れてきた二人とも初聴きだったが、溌剌として引き締まったプレイは上々のものである。特に若き加藤の今後には大いなる期待を持った。そしてこのトリオは12月にも声がかかることになったのである。三嶋は辛口で知られるLB・AWARDにおいて堂々最優秀賞の栄誉に輝いたと聞く。そこで三嶋について一筆付け加えておく。彼は回を重ねるごとに充実した演奏を披露しているように感じている。思うに、三嶋にとってライブは課題発見と克服の結合になっている。人は本当のことに気がつくと嘘をつきたくなるものだが、実直な三嶋はそこに陥らず課題を正面から受け入れているように見える。演奏を聴けば、それが分かるのだ。ただし、それが受賞理由の一つになっているかどうかは知る由もない。8月にはLBの一帯一路戦略を牽引してきた米木さんのお出ましとなった。聞くところによると東京ミュージシャンはギグの中止・順延を後追いで穴埋めしていようで、ブッキングが思うに任せない事情下にあるようなのだ。そんなこんなで、今年は観測史上初めての1回出演になったのだ。演奏は山田丈造を招いてスタンダード中心に進められた。8時終了というのは残酷に思えた。お盆明けには松島・山ジョーの双頭ライブがあった。松島は演奏もさることながら、人柄だけでメシを食っていけそうな模範人だ。9月はLUNAの北海道ツアーの本体が中止になったが、ツアーの付録編は無事挙行された。ジャンルのルツボのような構成は特許もの。この路線は定着しつつあるようだ。月の終わりには原大力Week、オルガン入りトリオ(原、鈴木、宮川)のグルーブは益々磨きがかかっている。宮川が「上達すると演奏がつまらなくなる」と自身に警鐘を鳴らしていた。プロの世界は厳しい。10月に入っても時間制限は解除されていない。カニBAND北海道ツアーのオフに唯一設定された大口・林Quartet。林さんのドエラい音に会場が膨張した。11月にようやく制限解除となった。先鞭を切ったのが若井・壺阪・西村のライブだ。いいタイミングでいい連中が登場した。彼らにとっても客にとっても開放感が充満していた。これが本来のライブではないか。以後、怒涛の展開となって行く。昨年我々を驚かせた竹村一哲グループ(竹村、井上、三嶋、魚返)による『村雨』ライブだ。4つの個性の激突はスリル満点、一哲は改めて札幌の誇りであると確信した。こうなると気を緩められない流れにハマってしまわざるを得ない。小松・楠井・本山のトリオ。聴きどころ満載である。リーダーは本山、昔流の言い方を借りれば「どこに嫁に出しても恥ずかしくない自慢の娘」的な本山が余すとこなくこん日の力量を見せつけていた。いよいよ本年の最終月。待遇改善がかなった三嶋トリオの再演。「アップ・テンポの演奏で喜んでもらうだけが能じゃない」と切り出して“テネシー・ワルツ”なんぞを披露した。三嶋は演奏家としていいテンポを刻んでいるわい。そしてこのトリオをバックに待ちに待った池田篤。いつも池田には感動の予感が働く。蓋を開けてその通りになる。大熱演の締めくくりにどこまでも穏やかな「フォーカスセカス」には麻酔にかけられたような抵抗不要の気分になったのだった。今年の締めくくりはLUNA4DAYS。全部聴いたわけではないが、あぶない路線に円熟味が加わり、黄金期の浅草六区でも面食らいそうなSun Shine Of Your Liveでフィニッシュした。
今年も残り僅か、毎年、除夜の鐘の刻に何かを聴くことを習慣にしている。今年は何にしようか考えているが、LIVEものにしようと思っている。JazzおよびBeyond Jazzファンの皆さんよいお年を、そして2022もLIVEを楽しみましょう。
(M・Flanagan)

素晴らしき哉、人生

アメリカではこの映画が頻繁に放映されるという。クリスマスにこの映画をお勧めしようと文章だけ起こしてブログにUPするのを忘れていた。クリスマス映画史上最高傑作と思う。1946年制作。フランク・カプラ監督。証文の出し遅れ感があるが、jazzでも年中枯葉を演奏している。お正月に馬鹿なお笑い番組を見る代わりに見ても何ら支障はない。「アメリカの良心」ともいうべきJ・スチュアートが主役である。一見善良な市民の心温まる「いい話」になっている。勿論そこだけ見ても元は取れる。主人公が中年になって人生を振り返る。人生は無限のIFに満ちている。諦めてしまった夢、かなえられなかった欲望に苦しむ。苦い大人の物語でもある。エンディングは何度見ても感動する。この映画を見ると今からでも遅くない正直に生きてみようとちょっとだけ思うのである。
「ニキータ」とか「ローラ」などのバイオレンス映画を制作しているリュック・ベンソンがこの映画の有る場面を敬意をもって拝借している。
古い映画である。パーカーがsavoyレーベルに最高傑作を吹き込んでいる頃の映画なのだ。パーカーの音楽がそうであるように3分に一回の爆発シーンも無ければエロいお姉さんも出てこない。だが心に残る。
この映画の製作年度を見て改めて思うのだが戦後すぐこのような映画を作れる国に戦争しても勝てるはずがない。

鳥の歌 その2

絶滅しかけたトキが官憲とマスコミの手厚い保護の元息を吹き返している。
数日前の道新に安倍元総理の独占インタビュー記事が載っていた。北方領土交渉の舞台裏と言った内容であった。25年の交渉成果を数年で台無しワシントンにしておきながら成果を上げたような口ぶりには唖然とした。
「100点を狙って0点なら何の意味もない」・・・四島から二島に交渉ラインを引き下げた挙句結局『0点』だった。おまけに経済協力と言う名目でたっぷり授業料を持っていかれた。勿論我々の税金である。それも個人的に信頼関係のある「お友達ウラジミール」にである。信頼関係のあるトランプ大統領はそのやり取りを支持していてくれていたとあった。外交交渉までお友達感覚でやられては国民は溜まったものではない。結びはこの政策を今の岸田総理にしっかりと引き継いでほしいとあった。大物フィクサー気取りである。元島民の多い北海道民にとって北方領土問題は身近な問題である。ならば道新はこんなアホインタビュー記事は載せるべきではないと考える。
そうこうしているうち「桜問題」の結論が出た。安倍元総理は不起訴である。論理が凄い。
「1人あたりの会費は5千円だったが不足分は安倍氏側が補填していた」が「寄付を受けた認識は参加者になかった」からである。「十分な証拠が得られず」とある。道新の社説にもこの件が述べられているが定番の説明責任を果たせ・・・とオウムでも喋れる内容である。土台アホインタビュー記事を載せるマスコミの意見など説得力がない。
マスコミの質の低下には目の余るものがあるがこういう傾向になるのには理由がある。権力と対峙するより仲良くなった方が特ダネくれるし楽だし部数も伸びる。実際、朝日、毎日、読売大手3社の発行部数は戦時中大本営の発表を垂れ流していた時に一段と発行部数が伸びた事実がある。
最後に一番危惧している記事について述べたい。大阪府と読売新聞が包括連携協定を結んだ。大阪は維新の本丸である。そこで大手マスコミが協定を結ぶと言う事は限りなく大本営発表を想起させる。維新を侮ってはいけない。民衆の扇動の仕方をナチスの様に熟知している。
後ろから声が掛かる。
「よっ、身売り新聞」

鳥の歌

鳥の
前回のブログをアップするとたまたま500稿目であった。塵も積もればボリビアでも積もるの諺通りである。ネットで面白い戯言を見つけた。表題は僕が付けたものでカザルスの「鳥の歌」とは他人丼である。

日本には謎の鳥がいる。正体は良く分からない。
中国から見ると「カモ」に見える。
米国から見ると「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「さぎ」だと思われている。
でも鳥自身は「鳩」だと言い張っている。
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思っている。

2021年度lazy bird各部門最優秀賞発表vol3

日本学術会議より3名の推薦があった。店主は法にのっとり任命するだけである。拒否権はない。
プロの部 三嶋大輝
三嶋のベースが最高と思って来てもらっているわけではない。Lazy のベース層は厚い。米木、若井俊也、楠井五月と住友不動産の様に最高の物件を揃えている。世の中ご縁と思っている。最初の出会いが飛行機が普通に飛んでライブが定時に始まり、三嶋がスピーカーカバーをバラバラにしなければもっと希薄な関係であったかもしれない。三嶋の人なつっこい顔でベースを弾いているのを見ると幸せになるのである。7月自分のトリオで来てもらった。餅屋は餅屋。若手の事は若手に聞けである。当時札幌はまん防の時短営業中。初めて連れてきたピアノの加藤、ドラムの柳沼を限られた時間でどう紹介するか悩んだことと思う。おまけに店主からは「つまらなかったら一生付き合わないからな」と軽く脅されてもいた。その過酷な状況下で夏の陣を乗り切った。まだまだ伸びしろの有る素晴らしいトリオであったと思う。コロナ禍が収まらない中のライブであったので中々客足は伸びない。おまけに札幌では無名のトリオである。三嶋が全国の自分のファンに声をかけてくれてライブCDRを販売してくれた。本当に助かった。そのご褒美と言ったライブを12月にやってもらった。メインデッシュは池田篤のバックを同じトリオでやってもらう企画である。ピアノの加藤は池田の生徒でもあった。前後に学生、地元のミュージシャンとのセッションもついて気が付いたら休みなしの8日間になってしまった。これも若井俊也の記録を破り最長不倒距離である。この間北大jazz研の定期演奏会もありそこにも顔を出してくれた。学生たちも大喜びであった。そういう行為で学生たちとの距離も縮めてくれる。流石に三嶋も後半バテていたようであった。僕も宝くじではないが前後賞が付いて10日間朝までの打ち上げが続いた。辞めていたシャブを頼りに何とか乗り切ったが今も体の奥に澱のようにたまった疲れを感ずる。
三嶋は鈴木央紹からも声が掛かったという。ここでの縁が東京でも広がるのは店主として嬉しい限りである。今後の期待値も含め今年のMVPは三嶋大輝に決定した。

2021年度lazy bird各部門最優秀賞発表vol2

日本学術会議より3名の推薦があった。店主は法にのっとり任命するだけである。拒否権はない。
社会人の部 江良直軌
今気が付いたのだが学生の部受賞者梅津と同じ読み方の名前である。ついでに言うなら僕も「直」で「限りなく『なおき』に近いブルーで」ある。これで来年は直木賞を狙ってみようと思う。江良は勿論学生の頃から知っているのだが割と後期の頃からだったと記憶している。
北大のビックバンドのコンサートマスターも兼務していた時期があり多忙だったためだ。兎に角よく聴きに来てくれる。最近終わった三嶋の8daysも7日間来てくれた。社会人のビックバンドに参加しながら北大jazz研の顧問も務めている。学生のライブにもほぼ100%聴きに来てくれる。一度冗談で聞いたことが有る。「仕事手を抜いてない?」早め早めに仕事進めて時間作るようにしているとの事だった。模範解答である。だが実際そうしているのだろうと思うのである。あまり一般的ではないバリトンサックス一本で活動している。僕はビックバンド以外でBSを聴いたのは松風紘一さん以外では江良だけである。楽器もうまいし人柄も誠実である。社会人になるとなかなか音楽出来る環境にいられなくなる人が多い。プロとやる機会を江良に託し社会人オールスターズなる企画を続けている。前回の壼阪健登の時も全国から北大jazz研OBを集めてくれた。勿論演奏も楽しみなのだが元部員の社会人になった立派な姿を見るのも楽しみの一つなのである。そう云う企画の仲介の労を取ってくれる得難い存在である。クリスマスにも社会人二人でボーカルのLUNAのバックを務めてもらう。社会人と言っても下手なプロより上手い。何の心配もしていない。江良は音楽を友とする社会人としては理想的な生き方をしている。おまけにである。素敵な彼女がいる。僕は彼女に意地悪く質問したことが有る。
「江良、プロになると言ったらどうする」
「私が生活ささえます」
言われてみたいわ・・こんなセリフ。こんなところにも格差社会の構図が影を落としている

2021年度lazy bird各部門最優秀賞発表vol1

日本学術会議より3名の推薦があった。店主は法にのっとり任命するだけである。拒否権はない。
学生の部 梅津尚生
学生もここ一年半コロナ禍で部室の封鎖など十分に活動できる環境ではなかった。その中で梅津は他大との連携も深め同級生、下級生の意欲の糸が切れないように配慮する姿には感心した。ライブにも下級生を連れて来てくれてその料金も払ってくれていた。僕は時々心配になり「生活大丈夫なの?」と聞いたことが有る。「塾でバイトしていますから、大丈夫です」との答えが返ってきた。バイト代は後輩の面倒見る費用にほとんど消えていくという。国費を流用してお友達を優遇する安倍元総理に梅津の爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。先輩からも「いくら金かけても残る奴は残るし、辞めるやつは辞める」と言われてもそうせざるを得ないらしい。心意気を感ずる。Jazz研がある高校の出身で「あまちゃん」の大友良英が初代の部長のはずである。プロも排出している部出身なのでドラムもうまい。今年は原大力のドラムクリニックを仕切ってもらった。好きなドラマーはマックローチだと言う。ブライアン・ブレイドなどと言わない所が良い。来年度の北大jazz研の部長に就任すると同時にlazy bird第10代バイトにも就任する。これで北大内に傀儡政権を樹立したことになる。

認諾

森友公文書改竄訴訟が突然終わってしまった。パーカーのサボイレーベルコンプリート盤のようである。裁判に関しては別テイクはない。認諾と言うのは国が全面的に訴訟内容を認めたと言う事になる。賠償金1億円が払われることになる。赤木さんの奥さんもこの金額は高いと思ったという。高く設定するのは安易に裁判を終わらせないための手段と聞く。だが国は一億円払っても終わらせたかった理由があったとみる。ここで何となく国と言う用語を使ってしまうがこの場合の国は政府をさす。だが本来の国は政府と国民の総体のはずである。よってこの認諾という落としどころは次の様に言い換えることができる。
「政府は国民が真相を知りたいと思っているにも関わらず、ある一部の人物を守るために賠償金一億と言う税金を払って闇にほおむった」と言う事である。
バルブを閉め忘れた現場の公務員が300万を自腹弁済させられたという記事があった。
ならば公文書改ざんを命令した公務員にも、1億1千万の自腹弁済を請求すべきではないか。
佐川元国税庁長官の訴訟は続くと言うがこれも認諾と言うカットアウトで終わる可能性が有る。麻生財務大臣、安倍元総理の高笑いが聞こえる。
この9年間、自民党政権とそれに隷属する官僚は制度に精通すると言う行為を各種法令を自民党政権の利益のために最大限「悪用」するテクニックに習熟することにすり替えてしまった。
腐りきっている。
唐突に臼庭が吹く「ウンチ クソミソ」(アンチカリプソ)を想い出した

2021.12.9-10 Free Bird At Lazybird

池田篤(as)加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
「Free Bird」とは池田の直近アルバム名である。Bird、パーカーの演奏は機械的すぎるというような理由で好まない者が結構いるような気がする。しかし、彼の天才を否定する者は余りいないだろうし、その後に及ぼし続けた影響を否定する者はいない筈だ。「Free Bird」というタイトルはパーカー的なるものの最終確認の意味合いが含まれていると思う。“帰巣”とそこからのより自由な“旋回”と受け止めても良いかもしれない。詮索は程々にして、ライナー・ノートの最後の一行が池田の音楽家意識を平明に表しているので転載しておく。『さあ大変なことになった!次回はこれを超えるアルバムを作らなくてはならないからです』。池田の凄みは徹底したやり残しの拒否である。残渣を受け入れないのだ。聴いていて、池田はどこまで行ってしまうのだろうかと感ずる聴き手は少なくない筈だ。それは今日ここで人生最高の演奏をする、いつもその思いが池田にはあり、必ず彼はそういう演奏をするのだ。ひょっとすると若い時の方がスキル的に上回っていたかもしれないし、若い時にしか成し得ない音があることも事実に違いない。しかし池田はいつも往時を背負った今日を発信し続ける。池田の演奏に胸打たれるのは、それが生で伝わって来るからだ。このリアルな体感は消そうとして消せるものではないとつくづく思うのである。演奏曲は近作で曲名の紹介がなかったブルーズやバラード数曲のほか「Miles Ahead」、「You’re A Believer Of A Dream」、「Enter The Space」、「Is It Me?」、「Ceora」、「Infant Eyes」、「Rhythm-A-Ning」、「Star Eyes」、「ThisIDig Of You」、「When Sunny Gets Blue」、「Newspaper Man」、「Folhassacas」などである。
標題は“Free”と“Lazy”とのBird的な相性を問うてみることに端を発しているが“自由”と“怠惰”は馬が合うとの噂が広まっているらしく安心した。
PS.池田の前の日、リズムセクション三嶋大輝トリオの7月に続くLive Againがあった。これまでのところ、三嶋は勝負球を連投するタイプと思っていたが、ライブでよくあるモンクでつなぐような選択を避け、「テネシー・ワルツ」、「ビギン・ザ・ビギーン」といった楽曲を持ち出して来た。何んだか三嶋が半歩ほど近くなった。演奏曲は「Time After Time」、「North Of The Border」(B・ケッセル)、「Training」(M・ペトルチアーニ)、「Tow Bass Hit」(J・ルイス)、「Hindshight」(C・ウォルトン)、「Old folks」、「Fly Me To The Moon」など。ドラムとピアノは初聴きの人が多くとに思うが、柳沼のタイトさ、加藤のフレクシブルさに目を見張ったに違いない。これは、あるソフトリーな脅しに対して三嶋が命を張ったトリオである。
(M・Flanagan)