jazz紳士交遊録

あと一か月半で令和元年が終わるが30年前は平成元年が終わるころでもあった。ラジオをつけると平成元年のヒット曲の特集をやっていた。ほとんど知らない曲であったがプリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」だけは知っていた。プリプリがデビューする一年前だと思う。僕はブッキングした板橋文夫Gと全道を1週間ほど旅したことがある。ベースは伊野信義さんであった。グラスなどを割った時に使う定番フレーズ。
「私弁償します」
「いいの、いいの、ブライアン・イーノ信義」の井野信義さんである。
伊野さんは実に真摯な人柄で打ち上げの所謂芸事の話は苦手だと言っていた。
メンバーとは離れた所で静かに飲んでいる井野さんに音楽的な質問をいくつかぶつけたことを覚えている。
井野さんの高校の後輩にあたる渡辺加津美のハーモニセンス。
そして当時ジャーナリズム界では評判の良かったJJ.spirits(峰厚介、佐藤充彦、井野信義、富樫雅彦)の僕の印象。
どの曲も忙しく聴こえ、ゆったりした感じがない。井野さんはこの素人めが・・・・・とは言わず説明してくれた。峰さん以外は皆リズムが早いという事であった。伊野さんは「俺は早いけど、トーサ(充彦さん)はもっと早いんだよ」と言っていた。100M走でピストルがなる前にもう5メートルくらい走っている感じだ。
話はどういう経緯でプリプリの話になったのかは覚えていない。デビュー半年前にベーシスト候補をマネージャーが連れてきて「この子を半年で弾けるようにしてください」と言われたそうである。どのレベルで弾けるというかは相手に預けて取り敢えず教えたそうである。結果は武道館コンサートまでの順風満帆の活動でになった。
半年で驚いてはいけない。若井俊也はベースを弾き始めて3ヶ月でプロになっていたし村上ポンタさんはドラムを買って二週間後には「赤い鳥」のオーディションを受けに行った
ツァーの終わりに井野さんはミンガスのあるレコードを探していると言っていた。
僕はカセットに録音して送ってあげた。まだyou tubeなどない時代である。丁寧な返信ハガキが来た。