Jazz紳士交遊録vol23 セシル・モンロー

10年前の事である。臼庭潤が亡くなって落胆しているところにセシルの訃報が入った。子供と千葉の海に行っていた。ボードから落ちた子供を助けに行って自分が溺れてしまった。セシルは泳げないのである。ここにアメリカの悲しい歴史の一端がある。人種差別が今より露骨だった頃黒人はプールには入れない。だから泳げない黒人が多い。
セシルは本当に気のいい奴であり日本人より気を使う奴でもあった。初めてセシルに来てもらったのは鈴木チンさんのグループで井上俊彦、秋山一将、内田浩誠がメンバーだった。40年ほど前の事である。このグループでも3人が鬼籍に入っている。福井良さんの里帰りライブも何度か主催したがその時のドラムもセシルだった。ベースは藤崎洋一。この人も亡くなったと聞いた。藤崎は野球界では有名人だ。東海大相模が甲子園で春夏連覇したときの4番でキャプテン。3番は今巨人の監督原辰徳、5番は日ハムにいた津末だ。当然プロから声がかかったがそれを蹴って福居良トリオに加入した。おお、もったいない。井上俊彦のグループでも来てもらったことが有った。この時ちょっとした事件が起きた。メンバーの入りの日がばらばらであった。道に不案内なセシルを迎えに行く予定になっていた男がチケットの売上金をもって雲隠れしてしまった。会場だけは知っていたセシルは千歳から自力でたどり着いた。僕と井上は良く着いたとセシルに抱きついたのを覚えている。ベースの米木と二人で来てもらって岡本広とよくやってもらった。「ケアフル」というジム・ホールのオリジナルがある。岡本の十八番だ。セシルがファンク風の8ビートを叩き出した。米木も呼応する。二人の紡ぎだすビートが素晴らしくて岡本がテーマに入らず聴き惚れてしまった。ここに池田篤も入れて札幌近郊をミニツアーしたことが有った。恵庭でのことである。モンクの「エビデンス」が候補に挙がった。セシルはこの曲を知らなかった。大雑把に言えばメロディーのリズムだけ全員で合わすような形で曲が始まる。米木が「セシル、普通でいいよ(レガート刻め)」と言ったがセシルは「頑張ってやってみる」と言った。池田がテーマを吹く。コンマ何秒か遅れてセシルの腕がシンバルに伸びてくる。餌をとる時のカメレオンの舌のようにすばしっこい。音だけ聞いていると判らないのだが見ていると究極の後出しじゃんけんの様で妙におかしかった。池田は何十年たってもその事を覚えていてエビデンスをやるたびにセシルのすばしこかった腕の動きを真似して見せる。フレディ・ウェイツの話を想い出した。ニュヨーク時代のセシルのドラムの先生である。
「あいつは習いに来た時、ジャズはほとんど知らなかったよ」
セシルは何を叩いても根底にファンクの香りがする。それがセシルの持ち味と思っている。
晩年は臼庭、津村、米木と一緒に田中朋子クインテットをよくやってもらった。Lazy での最高の演奏の一つになっている。「ギブ、サム、ラヴィング」で8ビートを本当に楽しそうに叩いているセシルの顔が思い浮かぶ。
Hey men ,you know・・・me?
この短い文節だけでもセシルが話すとラップに聴こえる。
時として「平面湯吞」と駄洒落を言っているようにも聞こえる。